死閃の位置 第八章

 

 簡単な話。

 

 学生と言う者には、学業という本分がある。

 

 それは多岐に渡る。数学、国語、理科、社会、英語。

 その中でさえ、数学Ⅰ、現代国語、古典、化学、世界史等。

 そして更には、それらの中にはとらわれないものもある。例えば、専門職への勉学などだ。

 

 しかし、それらが必ずしも万人に出来るというわけではない。

 

 誰にも差はある。絶対的な現実として。

 

 それこそが各個人の特徴だというものもいれば、ただ単に有能なものと無能なものだ、というものもいる。

 

 ただ、誰が何と言おうと事実は変わらないわけで。

 

「嘘……」

 

 聖美歌は、手元にある紙片を見て、教室の中で呆然としていた。

 

 

 

第八章

 日常

 

 

 

 教室。

 空調機の性能が遺憾なく発揮され、真夏へと移行しかけている七月中旬の暑さを無にしていた。

 教室に一応整列して並べられた机には、思い思いにだらけている生徒がいる。

 机に寝そべっているものや、背もたれに身を預けきっているもの。極稀に背筋を伸ばし、毅然と教団にいる中年男子教師に視線を向けているものもいる。

 そんな中、教室の後ろから二番目、窓際の席に、頬杖を付きつつ、窓の外を見ている少年がいる。

 

 要だ。

 

 

 

 青空の中に、眩しい太陽が居座っている。

 その光を遮る雲は殆どなく、否応無しに陽光が自分に降りかかってくる。

 それを邪魔だと思いつつ、しかし眺め続ける。

 眼を離す理由もなければ、教室の中に視線を戻す必要もない。

 故に、ただ何事もなく空を眺め続ける。

 

「――闇! 朝闇!! 朝闇ィ!!!」

 

 そういえばそろそろ冷蔵庫の中身が心許無い様な気が。帰りにでも商店街にでも寄って食材を買ってこなければ。

 となると、財布の中身だが、二万円はあった筈。問題ないだろう。

 先月は魚で固めたから、今月は野菜を多めにでもするか。あとは肉。

 

「聞こえとんのか!? 反応せんか朝闇ィッ!!」

 

 しかし一週間に一度は鬼灯やら三上やら水島やら来るのであっという間に食材を消費された気が。というか何で水島は家知ってんだろう。

 今月は多少多めに食材を買っておこう。

 

「朝闇!! よんどるんじゃこのアホンダラァッッ!!!!」

 

「……ん?」

 

 自分の名を呼ばれたような気がして教壇を見れば自分の担任教諭の中年男性教師が呼んでいた。

 顔は真っ赤になり、息は荒く、吊り上った眼は此方を怒りの炎を灯して射抜いている。

 はて、自分は何かしただろうかと考え、

 

 ……何もやってない。

 

 成績は教師を黙らせる程度には取っているし、素行不良というわけでもない。

 ならば一体?

 

「……なんですか?」

 

「テストの返還だバカタレッ!! 一体何回呼んだとおもっとるんだ!?」

 

 特に呼ばれた覚えなどないが。

 しかし実際、自分が出席番号の初めなので回りに迷惑をかけているのは事実だ。

 席を立ち、答案用紙を取りに行く。

 

「すいません」

 

 教壇の前にまで言って頭を下げる。

 迷惑をかけた全員に対しての謝罪。きっちりとするとこはせねば。

 頭を上げると、何やら眉根を歪めて微妙な顔をした教師が、

 

「……お前はそう、素直に謝れる所はいいんだが、もう少しその忘とする所を直せ。成績も文句無いんだし、のぅ?」

 

「……まあ、善処します」

 

 そう応え、答案用紙を受け取る。中身は見る必要が無い。点数は決まっている。

 席へと戻り、鞄へテストを叩き込んで伏せる。

 現在は終りのSHR。コレが終われば諸連絡は終りで、その後は商店街へ行く。

 つまりは自分にすべき事は無い。故に身体から力を抜き、意識を沈ませ――

 

「――朝闇君ッ!?」

 

 直後、壊滅的な音を立てて教壇側の教室のドアが開けられた。

 突然自分の名を呼ばれたことに対して身体は特に反応は無く、首だけでそこを見ると、

 

「……聖さん?」

 

 割と魔力が放出され、鉄の扉が手指の形に歪んでいる。それ直すの俺なんだが。

 教室内では男子が何故かおぉおぉぉ……というどよめきが生まれ、女子は何だ何だとこちらへ好奇の視線を向けてくる。

 当事者の聖はといえば、こめかみをひくつかせながら力を込めて耐え、表情筋を無理矢理に抑え留めている。正直怖い。

 

「何かね……?」

 

 漸く事態に思考が追いついてきた教師が疑問を聖に放つが、彼女は目元だけ教師に向け、

 

「すみません先生……ッ。朝闇君をお借りしてもよろしいでしょうか……ッッ!?」

 

「…………あー……だりィ……」

 

 小声で魂まで抜け落ちそうなほどの溜息を吐く。

 嫌な予感、とでも言うべきか。

 何だと言うのだ一体。自分は何かしたのか?

 

 ……いやだから何もしてないと。

 

 この前相方として約束した時から順調に街の捜査、というか警戒は続けていたし、多少の言い合いはあったものの、喧嘩には程遠かった。

 他に何か在るだろうか。いや、何も無い。

 

 そう思考する間に聖は目の前にまで来ており、

 

「……何だよ?」

 

 声を出したのと同時、視界が横にぶれた。

 気管が絞まり、息が出来なくなり瞬間的に気が遠くなる。

 手足に力が入らず全身は脱力している。

 流れる景色には様々なクラスメイトの顔。

 一気に廊下の景色が来て、

 

「現実って無情――!!」

 

 ……何で泣いてるんだ。

 

 疑問を持つと同時、意識が落ちた。

 

 

 

 学校には、生徒会に該当する生徒による組織が在る。

 それは学校全体の行事や各部活毎の補佐などをする組織であり、学校によっては大きな権力を持つ事さえある。

 それは、この神矢学園において適用されている。

 

 生徒会室。

 本館四階にある其処は、生徒会の拠点であり、生徒は余寄り付かない。

 理由としては、大多数の生徒は其処に用事はないし、例え在っても生徒会副会長の冷静すぎる態度に恐れをなすものが多い。

 

 そんな生徒会室は、今現在、何故か四名の生徒が独占していた。

 

「……何で皆さん此処へ集まるんですか」

 

「え、アタシは三上に聞いたら此処が良いって」

 

「……俺気絶してたんだけど」

 

「いやぁ、やっぱり集まる時は全員の方がイイだろ? だったら美紀が居る此処の方がイイかな、と思うんだよ、オレは」

 

「核さん……」

 

 二十畳程度の洋室に、部屋の中央に巨大な白の机が一つ。扉以外の三面に大きな窓が設置され、引っ切り無しに空調機の駆動音が鳴り続ける。

 幾つかのノートパソコンが計九つの内、扉側の四席に一つずつ、扉とは反対側の、窓を背後にした大きな席に一つ。

 部屋の隅に置かれた書棚にはきっちりとファイルに納められた書類が整列している。

 壁際に固められた幾つかの資料の内、幾つかからは大きな紙がはみ出している。

 白で固められた其処は、清潔さを前面に押し出している。

 

 そして、パソコンが置かれていない四つの席に、四人が座っている。

 

「公私混同は、いけないのですが……」

 

「国の事が公なら『退魔』だって公じゃねえか。気にすんな気にすんな」

 

「えぅ……」

 

 一つは鬼灯と三上。扉側から見て左側の席に着いている。

 

「いや、その前に何で俺は連れてこられたんだ」

 

「いやぁ、その……」

 

「商店街に行くつもりだったんだけど……」

 

 もう一つは要と聖。三上達と対面に座っている。

 

 鬼灯は困り顔で、三上は笑顔で、聖は苦笑いで、そして要は、

 

 ……買い物が……っ。

 

 自分でも眉根が寄っていると判る。現在の時刻は三時。タイムサービスは四時からだ。

 走れば十分間に合う。

 

「まあ、いいか。で、聖さん、何かあったのか?」

 

 そういうと彼女は身体をビクリと震わせ、俯いた。

 顔は赤く、眉を立てて歯噛みしている。言った話が怒りに身を震わせているように見える。

 何だ。自分は又何かしたのか。

 

「実は……」

 

 震える声音で聖がポケットをまさぐり、何かを取り出して机に置いた。

 それは――

 

「テスト……?」

 

 訝しげに声を出したのは三上。そのまま覗き込むようにして、

 

「コレがどうかしたのか? 特に魔力の匂いはしねぇし、怪しい所は無いんだが」

 

 ソレを聞き、自分と鬼灯も覗き込む。

 念の為『魔眼』を作動させ、何か呪の類でもあった場合に瞬時に消し去るために一睨みする体制を整え、

 

「……何もありませんね」

 

「……何も無いんだけど、コレがどうかしたのか?」

 

 概念も魔術も異能も罹っている形跡はない。

 三上と鬼灯と顔を見合わせ、うーんと首を捻る。そうすると、何故か聖は顔を真っ赤にして拳を振りかぶり、

 

「そういう意味じゃないわよッ!!」

 

「っつぁおっ!?」

 

 仰け反って燐光を帯びた拳を回避。流石に食らったら骨が折れる。

 そのまま聖は顔を真っ赤にしたまま口を開き、

 

「そうじゃなくてッ!! その、点数が低かったのよ!!」

 

『………………』

 

 沈黙。

 思考回路が一瞬停止し、三人で顔を見合わせる。

 今、何と?

 

「な、何で固まるのよ……」

 

 もう一度二人と顔を見合わせ、点数が書かれている答案用紙右上を見る。

 視線を動かす中で幾つかの丸とばつが見え、数列が見える。

 そしてそこに書いてあった点数は、

 

「にじゅう……」

 

「きゅう、てん?」

 

「~~~ッッ!!!」

 

 隣で聖が頭を激しく振り、髪が此方の頭に当たる。

 しかしそこまでに意識が行かない。視線の先には29と赤文字で書かれた点数があり、呆然とソレを見る。

 

 ……2、9……?

 

 いや、ありえない。

 魔術を使うものは、その複雑な術式を理解し、納得するためにもほぼ全てのものが数学を修めているといって良い。

 故に、大抵の魔術師や、それこそ『神血』の人狼は出来るはずなのだが――

 

 これは、一体全体どうした事か。

 

 彼女も魔術を使えたハズ――

 

「ん?」

 

 いや、待て、そう言えば彼女は一度も魔術を使っていない。

 否、使わないのではなく使えないのだとしたら?

 疑問は直ぐに確信へと変わる。

 

「なあ、聖さん」

 

「へ? 何?」

 

 未だ頬に朱を挿しながら、彼女が此方へと振り向く。

 眉が緩やかな下向きに弧を描いている。

 間抜け面だな、と思いつつ、眉を立てつつ口を開く。

 

「――君は、魔術を使えないのか?」

 

「――」

 

 ……正解か。

 

 眼を見開き、口元を開けた顔で此方を見てくる聖。

 視界の端では三上と鬼灯が首を傾げている。

 

「朝闇様……? ソレは本当ですか?」

 

「学校で朝闇様は勘弁してくれ。ともあれ、俺に聞いてもわからん。知ってるのは聖さんだけだし」

 

 そう言って、肩をすくめる。

 魔力や魔術は『異能』等と違い、生まれながらの才能を必要としない。きちんとした法則を理解し、疑念を覚えなければ誰にでも扱える。

 だからこそ今まで魔術が途絶えなかった。誰にでも扱えるからこそより普遍的なものとなった。

 しかし、

 

「……そうよ」

 

 どうやら目の前の彼女は使えないらしい。

 俯き、肩を落としつつ彼女は、

 

「アタシはどうにも、魔術の才能がないみたいで、発火の魔術も使えない」

 

 思い切り肩から脱力して俯く聖。ところどころから負のオーラが出てるのは間違いない。

 ソレを見た鬼灯が口を開き、

 

「でも、魔力は扱えるのでは? 何故使えないのです?」

 

「ぅぐ……それは……っ」

 

 聖が思い切り苦虫を噛み潰した顔をする。

 眼を逸らし、窓の外を見るふりをしている。

 その額からは滝のような汗が。

 

「それは?」

 

「ぅな……っ!? な、何で笑顔なのよ……っ?」

 

 ……そりゃあ勿論、興味が在るから。

 

 魔術師として、『鍛冶師(クリエイター)』として、『到達者(ハイエンド)』としても、『神血』直系が魔術を扱えないという事実には興味がある。

 

「まあ気にするな。で、理由は何?」

 

 即座に思いつくといえば、魔力の術式不適合、魔力過多、術式の綻び程度。この中では魔力過多と術式の綻びがありそうだ。彼女の性格的に。かなり。

 目の前であたふたと慌てる聖は、しかし此方を一睨みしてから溜息を吐いた。

 

「……本当に簡単な話なの。アタシには、ただただ壊滅的なまでに魔術の素養が無いの。それだけよ」

 

「……は?」

 

 思わず怪訝な声が出た。

 あり得ない。『神血』の人狼にはそれは呼吸をするほどに当たり前――

 

 ――否。その思考法が違う

 

 先入観と偏見で物事を決める所だった。そんなものは愚考極まりない。

 己が世界だけで何かを決めることほどくだらないことはない。

 視野を広く持ち、全てを等と見做せ。

 

 思わず自分への嫌悪が吹き上がり、自嘲も含めて謝罪を述べる。

 

「――いや、御免。些か失礼だった」

 

「へ? 何が?」

 

 目の前で首を傾げ、怪訝な顔で此方を見てくる聖に、思わず嘆息を漏らす。どうやら彼女はそう言った事を気にかけない、というよりも気付かないらしい。

 特には気にしない事にする。ただの自己満足でしかない。

 

 しかし、才能が無いとはどういうことだろうか。

 

 魔力に問題は無い。術式不適合等は流石に理解しているだろうから、ともすればあとは術式の綻びか。

 術式というのは、在る程度の所まで。ソレの意図と問と答は教えてもらえる。

 だが、ソレを納得しないと使う事は出来ない。

 だからこそ、各一族特有の術式が在り、個人が構築した術式は他人に使う事は出来ない。

 おそらくコレが一番だと思うが、もしもそうならばどうしようもない。

 納得しろといわれて納得できるものではないからだ。

 

「……聖さん。君は、術式というものを正しく理解してるか?」

 

「え? な、何よ? 突然」

 

「いいから。術式に不安を抱かず疑念を持ち込まず構成を理解し問を見つけ答を見出し意図を感じソレに納得しているか?」

 

 嘆息吐きに一気に捲し立てる。視界の端で三上と鬼灯の二人が納得した顔で溜息を吐いていた。

 眼前の聖はというと、微かに狼狽しつつも此方へと応えを返してくる。

 

「え、と、ちょっとオカシイと感じる所は在るけど、ソレがどうかしたの?」

 

「ああ……」

 

 項垂れつつ肩を落とす。コレでは魔術を使うことなどできるわけない。

 おかしいと言う事は術式に納得していないという事だ。

 微かな疑いだけでも術式に乱れが入り、其処から破錠していき魔術は成立しない。

 コレばかりは理屈ではなく、直感に頼る事が多い。

 コツを掴めば簡単なのだが、此処で挫折するものが多い。

 

「ああ、って何よ!? 馬鹿にでもしてるの!?」

 

「いや違うから。これはもう仕方が無いな、と」

 

「ええ。ソレばかりは他人が教えてもどうこうできる物ではないので、地道に研鑽を積んでいくしかないかと」

 

「ま、気を落とす必要な無いってコトだ。頑張れ」

 

「…………」

 

 わざわざ椅子から降りて硬い地面に膝を着いて項垂れる聖。無視。

 溜息をもう一度ついてから持参した缶コーヒーを啜る。不味い。

 暫く温度の整った生徒会室に、聖の独り言と三上の欠伸と鬼灯の無言と自分のコーヒーを啜る音が連続した。

 

 ややあってから天井辺りを見上げて、そろそろ帰ろうかと思案し始めた直後、鬼灯の声が耳朶を叩いた。

 

「そういえば朝闇様。もしもご迷惑でなければ『(うつ)(かげ)』の整備をお願いしたいのですが」

 

「む? 何か不具合でもあったか?」

 

 確か前回の整備は先々月だったか。弦の張り直しや概念の再調整。『固定術式(ホールディング)』の検査なども含めて徹底したはずだが。

 だがしかし、『(うつ)(かげ)』は弓という形状からも、鬼灯の魔術の行使傾向等からも桃源郷の桃の木から素材の素を取り出した。故に霊的な抵抗力は並ではないが、物理的な抵抗力はそれほどでもない。良くて鋼程度だ。

 

 微かに思案していると、対面の席に居る鬼灯から声がかかる。

 

「いえ、どちらかと言うと私の不手際です。すみません」

 

「……理由も無く謝られても困るんだが。でもまあ、美紀さんがそう言うのなら、多少何かあったわけだ」

 

「面目ありません……」

 

「気にしないでいい。道具ってのは磨耗品であって、使われることが本望だ。其処に歓喜はあっても悲嘆は無い。無茶な使い方をしなければ、だが。ともあれ、今度家に持ってきてくれ。やっておく」

 

「重ね重ねすみません……。お支払いはどうすればいいでしょうか……」

 

「要らん。毎回そう言ってるだろ」

 

 嘆息つきで眉間に手を伸ばす。別に手間賃も何も、己が手がけた物を整備するのに金は要らないと、そう何度も言っているのだが。

 

 直後、左から聖の声がして、

 

「え? 要、貴方、そんなの出来るの?」

 

「いや出来るも何も。それが俺の一族の本職だったんだが」

 

 今となっては存在しないが、『朝闇』といえば鍛冶に携わるものならば一度は聞くらしい。良くは知らないが。

 自分もそれなりに創っては来たし、それなりのものは創れたと思う。両親には今一歩及ばないが。

 

 そう思考していると、鬼灯が、

 

「出来る、では無く、朝闇様は鍛冶師としても最高位です。実質、朝闇様が手掛けられた霊装などは高額で取引されています」

 

「へぇ……。因みに平均的に言うとどれくらい?」

 

 問われ、鬼灯は顎に右手人差し指を当て、一秒ほど思考し、

 

「えぇと……大体十億ほどでしょうか?」

 

「はぁッ!!?」

 

 頼むから耳元で叫ぶな。鼓膜が逝く。

 しかし聖は止まることなく、

 

「それ本気!? 在り得ないでしょう!?」

 

「事実です」

 

「…………」

 

 絶句する聖。そんなにか、そんなに以外か貴女。

 多少の脱力感は在るが、適当に受け流してコーヒーを啜る。純粋に不味い。

 

 実際、どんな値段がつこうが関係ない。

 自分が創るのは個人専用の物だ。他はあくまでも理論を立てたり、一研究者でしかない。

 大体、自分が創った物はそう多くない。理由は簡単。安心して預けられる者でないと創る気にならない。

 

 横と正面では、未だ相変わらず聖が喚き立て鬼灯が冷静に返す。

 それを意識の片隅に追いやりながら、整備に何が必要だろうかと思案し始めていた。

 『工房』の準備は万端だ。以前使った時から何も変わっては居ない。

 材料は大丈夫だろうか。桃源郷の桃の木のストックは在る。弦は自作なので保存して在る。となれば術式の再刻印か。

 

 思案に耽っていると、そういえば、と思い出す。

 左に向いて、未だ口論を繰り広げる聖へと、

 

「なぁ聖さん。そう言えばこのテストの点数が悪かったから俺たちを集めたのか?」

 

「あ……」

 

 何だその失念してましたって顔は。

 

「いや、その、実は……追試に、引っかかってしまいまして……」

 

「ああ……」

 

 此処、神矢学園はあくまでも進学校だ。自由な校風とは言え、それなりにテストは難しく、追試もある。

 とは言え、自分は一度も引っかかったことが無いため、たいした感覚は無いのだが。

 

「で? ソレがどうかしたのかよ?」

 

 三上が薄ら笑いを浮かべつつ問を放つ。

 聖は赤面し、身を縮めながら、

 

「ええと、その……勉強を、教えて欲しいな、と……」

 

「……」

 

 ――だりィ。

 

 瞬間的に判断すると脳内の自分達は大いに賛成。

 勉強は嫌いではないが好きでもない。その上に人に教えるのは苦手だ。

 ということで腰を上げて逃げようと思い、

 

「――だったら要がいいんじゃねェ?」

 

「……は?」

 

 何を言い出すこの野郎。

 待て。俺はそんなことをやるつもりは無

 

「ああ、ソレがよろしいかと。朝闇様は数学学年一位ですし」

 

「いや、何を言」

 

「え、ホントに?」

 

「……」

 

 いや、何で君はそんな眼を輝かせて此方を見るんだ。

 

「教えてくれるのねっ!?」

 

「ぅぐ……っ」

 

 駄目だ。勝てる気がしない。

 大きく溜息をつき、肩を落としつつ口を開く。

 

「判った……面倒見る……」

 

「やったぁッッ!!」

 

 ……あー……だりィ……。

 

 三人の笑い声が響き、思わず頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 商いをする店を、商店という。

 例外なくそれらは利益を求めて経営されており、故に競争意識というものは高い。

 それは、密集地ならばなおさら強いのが道理だ。

 

 商店街。

 他のソレとは違い、活気に満ち溢れ、中には多少、学生服姿も見える。

 そんな中、背の高い黒髪の少年と、黒の長髪の少女の姿が見える。

 要と聖だ。

 

 

 

 ……アタシってそんな魅力無しな訳?

 

 現在全力で葛藤中の聖である。

 

 原因は横の要だ。彼は普通に歩き、近くの店に時々入っては物を買い、その度に食材が増えていく。

 しかし、此方のことをなんとも思っていないのか、あたりの店を見回るだけだ。

 多少のショック。

 

 仮にも自分は人狼で、そこ等のニンゲンなど比較にならない美しさを持っている。

 それは誇張でもなく、経験則に基づく厳然たる結果だ。

 町を歩けば大抵のものは振り返ったし、何度も声をかけられた。事実ソレは現在でも同じで、何度か声をかけられもした。

 そしてそれをことごとく撃退。ついぞ要が此方を向くことは無かった。腹が立つ。

 

 ……別に、要を意識してるって訳じゃないけど……。

 

 現在十六歳。今まで誰にも恋愛感情を持ったことは無い。

 枯れているとか灰色とか言う意見は却下だ。

 だが、何と言うか、女の矜持は在る。

 無理に此方に振り向かせる必要は無いが、それでも無視されるのは気に入らない。

 

「……ああ腹が立つ……」

 

 危険な呟きは活気に紛れて消えるが、陰鬱な雰囲気は消えはしない。

 溜息を一つ。肩を落として横を歩く要に視線を向けても、その無表情は変わっていない。殴りたい。

 

 ……ああもう、何で腹が立つのよ……!

 

「うぅー……ッ!」

 

 訳のわからない怒りに頭をかきむしった。

 

 

 

 取りあえず、と前置きを置いて、今回の買い物は終了だと要は判断した。

 両腕に引っ提げた買い物袋には野菜をメインに、肉と魚、穀物。その後飲み物などが少し。

 『防人(さきもり)』の家を出てから自炊をはじめ、無駄に料理に詳しくなってしまった。

 最初に一年は酷かった。料理の腕が上がろうが、栄養バランスを考えなかった。

 今では栄養バランスを考えた上で献立を立てる。

 その内に三上や鬼灯やら水島などが家に来始め、又余計に料理に詳しくなった。

 

 ……今日も一人食べるやつがいるし。

 

 隣を歩く黒の真っ直ぐな長髪の少女。聖美歌。

 自分は彼女のことを良く知らない。

 あって一週間程度。会話は良くするが、踏み込んだことなどは話さないし、お互いに必要としていない。

 仕事上の関係であり、完全な味方などではない。

 お互いを守ることを誓ったが、信頼することとは又違う。

 

 だからこそ、三上と鬼灯が気を使い、自分と聖が勉強するようにしたのだろうが。

 

 此方を見たあの二人の眼は明らかに笑っていた。主に期待で。張り倒すぞ三上。

 あの後、自分達は適当に今夜について話し合い、その途中で勉強について聖が触れ、三上が家で勉強すれば良いとか言い出したのがコトの始まりだ。

 次に鬼灯が自分の家でやれば良いと言い、聖がついでだから夕食も作ってといい、反論できずに今になる。

 

 流された自分に内心で溜息をつく。

 

 ともあれ、多少の話を交えるにはいい機会だ、と思う。

 詳しく話を聞く必要は皆無だが、最低限のこと――何が出来て何が出来ないとか等は話す必要が在る。今のままでは必要十分とは言いがたい。

 

 あの誓いを立てた夜から三日。『事件』には何の音沙汰も無く日々が過ぎている。

 だが、既にこの町に『犯人』は潜んでいるだろう。今までの平均速度からだけではない。勘も在る。

 自分と聖は南を。三上と鬼灯は北を担当してもらい、連絡を取りつつ深夜に巡回を続けている。

 結界が張れればソレが一番なのだが、しかしこの街は『龍脈』が異常なため、魔力に変換して半永続的な結界を張り続けることが出来ない。幾ら自分でも巨大な都市全体に結界を維持し続けることは難しい。

 だからこそ二人組みで巡回を行っているわけだが、今の所は何も無い。

 しかし、『犯人』に警戒するまでの本能は在るだろうが、潜伏を続けられるほどの自制心が在るとは思えないのだ。

 理由としては、この『協会』の本拠地である日本でこのような『事件』を続ければ狩られることは明白だからだ。自殺行為と言うのも生易しい。

 

 だからこそ、疑問が在る。それは何故、

 

 ……何の動きも無い……?

 

 おかしい、と感じる。理性が無ければ欲望に走り続けるだろうし、そうでなければこのような『事件』は起こさないだろう。

 自然発生の『魔』にしては成長速度が速すぎるし、それ以上に他者から『略奪』する能力を持っているわけが無い。

 

 ……何だ? 何かがおかしい……。

 

 他者の式神と言う可能性も在るには在るが、それは限りなく低い。

 これほどまでに魔力の強まった『魔』を、誰にも感知されないほどの距離から操るのには、途方も無い『魔力』と綿密な『術式』か、もしくは特級の『異能』か『概念』か。

 確かに、それらの類の能力を持つ『異能者』や『神格者』もいる。だが彼らは『協会』などの魔術組織に監視され、無断で能力を使うものは居ない。

 

 不可解、という文字を眼前に貼り付けられた気分。

 

 またもや口を開き、肺に残る息を吐き出そうとした時、

 

「うぅー……ッ!」

 

「……」

 

 横でいきなり聖が頭を振り回した。

 通航人がなんだなんだと好奇の視線を彼女に向け、次いで自分に向け、何故か微笑を残して去っていく。

 中には学生服姿のものも何人かおり、微妙に嫌な予感がした。

 

「あー……だりィ……」

 

 陰鬱な気分と考えを吐き出すかのように盛大に溜息をつく。

 この後は家に帰り、夕食を作る。その間に聖にはテキストを与えそれを解かせる。

 夕食後に判らなかった部分を教え、出題範囲を洗っていく。

 十時になれば、家を出て街の中心部であるオフィス街で一度三上達と落ち合い、連絡を取り、巡回を続ける。

 

 意外と面倒ではないと感じる自分がいることに気付き、苦笑。

 何故自分は此処までやる気に成っているのかと思い、恐らくは自分の性分だろうと思う。

 やるのならば最低限やる。それだけだ。

 誰に言われたわけでもないが、自然と、何故かそんなことをするようになった。

 

 ふと視線を左へ落とすと、何故か聖が此方を向いていた。

 

「……何かあったのか?」

 

「……」

 

 首を振って否定の意を返してくる聖。だったら何が?

 

「何か食べたいものでも?」

 

「……っ」

 

 更に振る速度が速くなった。どうやら違うらしい。

 ならば何が?

 瞬間的に思いつくものを上げてみる。

 

「気に入った服とか?」

 

「――、……ッ」

 

 待てなんだ今の間は。気のせいか?

 微妙に怪しいが、どうやら違うらしい。

 

「何か欲しいものが?」

 

「……」

 

 勢いが弱くなりつつも否定の意志が帰ってくる。なんで弱くなってるんだ。

 ならばなんだろうか。これ以上は思いつくものがない。

 

「……特にないとか?」

 

「……」

 

 無言の首肯が帰ってきた。何なんだ一体。

 吐息を一つ。

 地に落ちた息を見つめながら、ふと頭に思い浮かぶのは、

 

 ……夕飯何にするか……。

 

 くだらない事を考えて、又一つ、溜息が増えた。

 

 

 

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