死閃第七章

 

 暗い森。

 木々が幾つも重なり合い、日の光を完全に遮る闇の空間。

 動物が住処とし、静寂の中に生命の息遣いが漏れる場所。

 昼間でも常時薄暗い其処は、本来ならば微かに物音が在る。

 しかしこの日、森は静寂に包まれていた。

 

 動物の物音、虫達の鳴き声。

 それらは全て押し黙り、時折吹く風だけがカサカサと草木の擦れる音を作る。

 

 まるでナニカに己の存在を悟られまいとするかのように。

 

 唐突に、ザッ、と言う音がした。

 

 何かが擦れる音とともに連続して続くその音は、次第にその間隔を早め、音を大きくしていく。

 

 音が近づくにつれ、一つの陰が茂みから飛び出した。

 犬。

 体毛は白。太くしなやかな体躯に四肢。

 狼の血でも混じっているのか、その犬の面は鋭く、温和と言うよりも獰猛な性格の方が強い印象を受ける。

 

 酷く慌てた様子のその犬は、『音』から逃げるかのように走り出した。

 

 ハッ、と言う音を繋げて息をする犬の呼吸は、酷く荒い。

 大地を蹴る四肢の筋は張り詰め、その緊張度合いと長い距離を走ってきた事を窺わせる。

 

 次いで、その犬を追うように『音』が速度を上げた。

 ザ、と言う音が最早間断なく連続し、徐々に距離を詰めていく。

 

「ハッ、ハッ、ハッ――!!」

 

 しかし犬はそれに抗い、身体から燐光を発し速度を上げる。

 

「……」

 

 『音』は静かに速度を上げ、ソレを追う。

 

 ――幾度かソレが繰り返され。

 

「――!!」

 

 開けた場所に出た。

 鬱蒼とした木々は十メートルほどの間隔をあけて円状に広場を造っており、其処だけは日の光が差し込む。

 犬は真ん中で立ち止まり、もと来た道へと身体を向けて四肢を突っ張り、構える。

 

「ルゥヴゥゥ……!!」

 

 唸り、前を見て警戒し、威嚇をする。

 直後、

 

「――ヴァウッ!!」

 

「!?」

 

 頭上からソレは姿を現した。

 四肢を屈めて右腕を振り上げているその姿は『人狼』

 体毛は白銀に輝き、耳元まで避けた口からは舌以外の赤が滴る。

 その黄金の眼は間違うことなく無く犬を見据えており、

 

「グルァアッ!」

 

 咆声と共に右の剛爪が振るわれた。

 爪は血が付着しており、既に何かを食らった事がわかる。

 大気を切り裂き唸りを上げて犬へと一直線に叩き込まれる。

 

「ガウッ!」

 

 その爪が触れるよりも前に犬は右へと跳躍して回避。

 風よりも早く振るわれた爪は、しかし彼に触れる事は無く大地を抉る。

 魔力によって強化されたソレは、大地を抉るだけで止まらず小さな爆砕を起こした。

 

「ギャンッ!?」

 

 爆圧によって撒き散らされた飛礫に全身を殴打され、成す術も無く吹き飛ばされる。

 衝撃音と共に後ろの大木に背からぶつかり、血反吐を吐きながら崩れ落ちる。

 

「グ、……ォ……っ!」

 

 力なく地面に投げ出された四肢はか細い痙攣を繰り返し、呼吸は儚い。

 彼は何とか頭をもたげて人狼を見る。

 

「カァァアァア……っ」

 

 ――哂っていた。

 

 口角を更に吊り上げ、眼を爛々と輝かせて哂っていた。

 その感情は、獲物を仕留めた事による歓喜と、食欲を満たせると言う希望と、此方への侮蔑。

 

「ア……こ……ッ!?」

 

 魔力を精製し、動かそうと試みるが――動かない。

 魔力を使い、無理矢理にでも動かせるはずが、しかし動かせない。

 理由は直ぐに判った。

 

「カカッ!」

 

 ――魔力を、吸い取られて、いる。

 

 如何なる術式を使ったのか判らないが、幾ら精製しても片端から食われていく。

 

 『人狼』が近づいてくる。

 その顔に愉悦の笑みを浮かべ、数メートルの距離をゆっくりと、歩いてくる。

 

「……っ」

 

 終りか、と思う。

 身体は動かずに、助けを呼ぼうにも日嗣町までは後数十キロは在る。

 

 ――嗚呼、かの『死閃』さえ呼べたのならば。

 

 彼は世間一般では狂人のように扱われているが、実際は違う。

 何に対してもやる気は無かったが、やるべき事はきっちりとやるニンゲンだ。

 『最強』の二文字に偽りは無く、彼は強い。

 彼を呼べさえすれば、この状況を打開できたはず。

 だがソレも無理か。

 

「ヴゥゥウゥウ……っ!」

 

 『人狼』が腕を振り上げるのが見える。

 その顔は愉悦によって歪みきり、耳まで避けた口からは赤い舌とそれ以外のものがボタボタと零れ落ちる。

 

 ――嗚呼、出来れば、これ以上我が同胞が死なぬ事を――

 

 腕が、振り下ろされた。

 

 

 

 

 

第七章

 微かな変動

 

 閑静な住宅街。

 紅と白金の狭間、赤い黄金の陽光が家々を染め、アスファルトの坂道に絨毯を作る。

 正午を過ぎ、現在は四時半。丁度人々が家から出払い、住宅街は無人と無音の場所になる。

 木々は無く、動物も居ないこの場所は、温い風が吹き抜ける。

 

 坂道の頂点、全てを眼下に置いた場所に、一人の少年が居る。

 少年――朝闇要は、多少の驚きを覚えていた。

 眼下、坂道の中腹程の所に、一つの影が在る。

 

 ――三上核。

 

 巨躯に見合った筋肉を各所につけ、薄い笑みが鋭い瞳と共に此方を貫いている。

 此方から下へと吹く温い風は、自分と三上の学校指定の半袖で真っ白のカッターシャツを緩く揺らす。

 

「――ああ。ちぃと話をしにきた」

 

 自然体のままに此方へ歩いてくる三上からは、言い様の無い高揚感が伝わってくる。

 微かに歪んだ目元からは真緑の瞳が覗き、口端からは鋭い犬歯が見える。

 肩幅、首、胴、脚、腕。それらの部位は、自分とはまた別ベクトルに鍛え上げられた四肢。

 

 要は思う。

 

 ……だりィ……。

 

 今更何の用だろうか。

 自分は今、気が立っている。それもはっきりと自覚でき、しかし原因が判らないという、最悪な機嫌。

 冷静な判断は下せる。自由に身体を動かせる。

 それでも、今の自分は誰に対しても八つ当たりしか出来ないのだと、理解している。

 

 故に、努めて声は軽く、言葉には軽い嘲りを。

 

「俺にお前に話す事はねぇよ」

 

 事実。

 自分に言うべき事は無いし、言われるべき事も無い。

 早く家に帰り、掃除をこなし夕食を作り課題を終わらせる。その後は――

 

 ……鍛錬、か……。

 

 今更、何の意味が在るのだろうか。

 もう、前線に出る事は無い。出る意志も無い。

 要するに、疲れたのだ。だるいのだ。

 誰が、死のうとも――否、極少数の人々以外はどうでもいい。

 眼下の男は、一応はその極少数に入っているだろう。腹が立つが。

 

 ……だからと言って、話などは無いけどな。

 

 そう高を括って、直ぐに岐路を辿ろうとすると、しかし、

 

「――オレには在るんだよバァカ」

 

「――」

 

 威圧の篭もる軽口で返してくる。

 否、それは既に軽口ではなく、此処に居ろと言う、ある種の傲慢。

 犬歯が見える程度の笑いは、しかしどうしようもなくおかしい。

 

 その態度に、腹の中の火が大きくなる。

 眼は細く鋭くなり、眼光に多少の威圧を篭め、舌打ちを一つ。

 

「ざっけんなクソが。お前に付き合う暇は俺にはないんだ」

 

 口から滑り出たのは予想以上に口汚い罵声。

 下に居る三上を見下しながら、しかし罪悪感よりも怒りが勝る。

 辛辣な言葉を投げかけ、普段の三上ならばふざけながらも此方に絡んで来る筈。

 だが、

 

「ハッ! よく言うぜ。二年前から何もやる事が無くなったヤツがよ」

 

「ッ!」

 

 ……こいつ……ッ!!

 

 返ってきた言葉は、明らかに此方への嘲り。

 別に自分は二年前を――過去を恥としている訳ではない。

 どちらかと言えば誇りに思うだろう。

 ――例えソレが、『復讐』に彩られた殺害であっても。

 だから、自分には怒る理由は無い。

 だが。

 一瞬で頭が沸騰する。

 グツグツと脳髄が煮え滾る。

 反比例して両腕は冷たくなる。

 指が固められ、肉に爪が入っていく。

 何故だろうか。何故?

 何故こうも自分は、怒りに打ち震えるのだろうか。

 

 判らない。だが、一つだけ判る事が在る。

 ソレは、

 

 ……取り敢えずコイツの顔面を張り倒したいってことだ……!

 

 ワケの判らない怒りに押され、奥歯を噛み合わせる。ギシリ、と、軋む音が聞こえた。

 しかし、眼下の三上は、嘲りの笑みを口に刻み、此方へと歩いてくる。

 クツクツ、と、嘲笑うかのような声と共に、口を開いた。

 

「くだらねぇ。ナニいつまでもうじうじしてやがんだ? アホかお前?」

 

「黙れよクソが。お前こそ何もしてないだろうが」

 

 軽口に明確な怒りを覚えつつも、しかし此方も軽口で済ませる。

 まだ、なんとかなる。

 怒りはまだ沸点に至っては居ない。このまま自分と三上が別れて、自分が家に帰って『日常』として『処理』すればいいだけだ。

 だが、そんな己の意志を蹴り砕くように罵声は尽きない。

 否、罵声ですらない。

 

「だぁれが黙るかよクソッタレ。図星だったからってナニ弱いもの虐めしてんだ?」

 

 コレはタダの、糾弾。

 

 口の端を歪め、言葉とは反対に笑みを深くする三上。

 それ以上に、図星、と言う言葉が、脳裏に刻まれた。

 

 ……図星……?

 

 ナニが、図星だと言うのだろうか?

 ワケが、ワカラナイ。

 

「ナニが、図星だと……?」

 

 疑問を、怒りと共に口から押し出す。

 熱を伴った言葉は、しかし三上にとっては単なる言葉でしかないとでも言うかのように口が裂ける。

 

「まぁだ判んねぇのかテメェ? ああいいぜ、だったら教えてやる。耳に指をぶち込んで風通しを良くしとけよ馬鹿」

 

「ッ!」

 

 零から最高潮まで。

 殺意が、三上から膨れ上がる。

 

「――テメェが、全部から逃げる事もせずに止まってるって事だッ!!」

 

「ぐッ!?」

 

 眼下――十数メートルの距離を、三上は『魔力』を足裏で爆発させた――俗に『縮地』と言われるソレは、距離を零にして此方への攻撃を可能にしていた。

 咄嗟に両腕を交差させ、腰を落として防御。しかし蹴りはそれをブチ破って此方を吹き飛ばす。

 感じるのは風。吹き飛ばされ、落ちていく。

 脚を振り上げ、回転。蜻蛉を切り体制を整え、地面へと着地。

 

「腹が立つんだよテメェ! いつからそんなに弱くなった!? ああ!? 二年前からだ!」

 

「ッ!?」

 

 三上から発せられる威圧は、怒気。

 憤怒に表情を染め、此方を睨みつけている。

 硬く握り締められた両の拳からは『闇』が漏れ、両の瞳が爛々と輝く。

 

「テメェはあの時俺に言ったよな? 自分に負けてるオレは何者よりも弱い、と」

 

「ぐ、ゥ……ッ!?」

 

 バックステップで回避行動をするが、三上はその距離を震脚で詰め、拳、蹴りでの連撃を叩き込んでくる。

 五発目。真正面からの拳を腕を交差させガード。腕が軋む。

 衝撃を緩和し切れずに後ろへと吹っ飛ぶ。半ば手足を前へと残しつつ、しかし無理矢理に地面へと脚を着いて制動をかけた。

 腰を落として完全に衝撃を殺し、片膝をついた状態から顔を上げた。

 其処に居たのは――『神格者』。

 

 堂々と地に脚を構え、此方を見下してくる。

 微かに上向きになった顔に在る両の瞳には、此方への殺意と怒気しか感じられない。

 一歩だけ踏み出された脚には、確かな『闇』が纏われていて。

 

 ――ソレは、爆発した。

 

「――じゃあなァ、テメェの今の状況はナンなんだ? あァッ!?」

 

「か、ぉ……ッ!?」

 

 『魔力』での強化が一瞬途切れた所為か、反応が遅れた。

 

 ――違う。そうじゃないだろうが。

 

 心の何処かで、そんな言葉が聞こえた。

 

 意識が現実に触れると同時、自然と九の字になった体勢で、自分の鳩尾に三上の巨大な握り拳が突き刺さっているのが見えた。

 自然と呼気が漏れていて、即座に痛みと軋みが全身を襲う。

 

「毎日毎日ダラダラして、何の行動も出来ないテメェはッ! 自分に跪いてんじゃねェのかァッ!?」

 

「ゴ、ァっ!」

 

 拳が引き抜かれると同時、昇ってきた蹴りが顎に命中。脳が振動する。

 気持ちが悪い。何故自分は殴られている?

 頭が痛い。思考が混乱する。

 

「くっだらねェ……ッ! 要ェ、テメェ何とか言ったらどうだ? あァ?」

 

「ぐっ……!」

 

 襟元を掴まれる。眼前、怒りに染まった三上の顔が在る。

 何故? 何故そこまで怒っている?

 

「前のお前があーだこーだ言うつもりは無ェがよ、要。テメェ、見ててムカつくんだよ」

 

「な、に……?」

 

 ……ワケ、判んねぇ……。

 

 何で、勝手に怒って、俺が殴られなきゃならない?

 

「テメェは二年前から、何もしなく――いいや、何も出来なくなったんだよこの腑抜けが」

 

「……ぁ?」

 

 ビキリ、と。

 こめかみに力が入る。

 驚愕に消えかけていた、『怒り』と言うちっぽけな火が、外部からの圧迫を『油』として燃え盛りを開始する。

 

「誰が……腑抜け、だって……っ?」

 

「ああ? ンなのテメェ以外居ねェだろうが? なあ? 要ェ?」

 

 ――ふざけるな。

 

 火は炎へ。炎は劫火へ。

 怒りは目の前を赤くし、思考を塗り潰す。

 

 ――気が付けば、拳を振り抜いた後だった。

 

「……要、テメェナンの真似だァ?」

 

「知るか……。だがな、たった一つだけでも、俺には言えることが在るんだよ……ッ!」

 

 衝撃で襟首は離され、自分は既に地に足を着いている。

 怒りが勝手に魔力に変わる。循環が始まる。

 魔力の循環。

 そも、魔力とは精神力・体力等を蒸留したモノとでも言うべきモノだ。

 己から創られたモノは容易に己を強化する。

 しかしてそれは、この世のモノではない故に『世界』に拒絶される。

 故に己のうちに蓄える事は出来ず、無理矢理にでも一定の箇所に留めようとすれば激しい痛みとともに殺される。

 だからこそ、魔力を循環させ、『世界』からの拒絶を受けないようにする。

 循環が早ければ早いほど、巡る『魔力』の量が多ければ多いほど、肉体は強化されていく。

 

 ――つまりは。

 

 殴るための力が在るってことだ。

 

「俺は――お前に好き勝手に殴られて、今までに無いほどに怒ってんだよッ!!」

 

「がッ!?」

 

 立て続けに三発、握り拳を鳩尾、脇腹、下腹部に叩き込む。

 鈍い着弾音と共に三上が九の字に折れ、そこに後ろへの宙返りで顎に爪先を叩き込む。

 直撃。小気味良い反応が足に伝わり、直ぐに着地。

 三上を見れば、何処か怒ったような、しかし嬉しいような、つまりは途轍もなく表現しにくい微妙な顔をしていた。というか判りたくない。

 

「……おいおい、ナンだよ、要。テメェ……、まだいけンじゃねェか」

 

「ざけんな、お前が勝手に勘違いしただけだろうが。俺は俺だ。何があろうとも俺で、そこに変わりはないんだよ」

 

 足を離して震脚として軸足にする。そのまま腰の捻りを加えた連撃。掌底打。

 捻り込むようにして胸部へと見舞う。

 

「がっ……!」

 

「ッつぁあッ!!」

 

 気合一発。最後の一突きを逆手で入れ、持ち上げる様に打撃した。

 三上の身体が軽く持ち上がり、腕にミシミシと感触が伝わる。

 

「っ…んなろっ!!」

 

「ッ―ー!!」

 

 手からの感触が消えたと知覚した直後、胸へと膝が突き刺さっていた。

 

「が……ッ!!」

 

 そのまま三上は後ろへと跳躍。

 此方と同じく胸へと手を当てて此方を見ている。

 

 何故か三上は口の端を吊り上げ、

 

「ハッ……! だったらテメェ、何で何もしねェ? はっきり言ってみろよ?」

 

 ざわりと、その言葉を受けた瞬間、背筋に鳥肌が立った。

 直後にソレは、フラストレーションへと変化し、

 

「――うっせぇ! んなもん判るか! 俺だって何なのか判ってないんだ! 何で俺があの聖とか言うやつに言われた言葉に、こんなに苛ついてるのかだってなぁッ!!」

 

 感情の爆発。

 意識する前に蹴りを放ち、しかしソレは三上の拳に止められていた。

 三上は、互いの拳と蹴りをぶつけたまま此方に向かって獰猛な笑みを浮かべ、

 

「カカッ! ンなもん簡単だろうがよ。それはな、要。オマエが――自分で今の自分を気に入ってないからだ!」

 

「――」

 

 言われて、ドクリ、と、鼓動が嫌に生々しく聞こえた。

 一気に熱は醒め、腹に巨大な氷塊をぶち込まれた感覚。

 

 ――俺が、俺を、納得してない?

 

 何処が? 毎日を過ごしていた事に退屈はあれど不満は無く。

 己自身に後悔は無く。

 『魔』を屠る事に違和感は無かった。

 

 ……だったら、何処だ?

 

「――は、何言ってんだ、三上……。俺は現状に不満なんて――」

 

 自分の発言を、しかし被せる事によって三上は潰す。

 

「だったら何でテメェはあの娘に『卑怯』と言われて切れたんだよ? あ?」

 

「――」

 

 返す言葉が、ない。

 そうだ。何故? 何故自分は怒っていた?

 考える。

 

 貶されたから? 否。そんなことは幾らでもあったし、そんな事に一々怒るほど子供ではない。第一、彼女の場合は貶しているわけではなかった。

 ならば何故? 『卑怯』。その言葉だけが頭に響く。

 そもそも何故彼女は自分のことを卑怯といったのか?

 

 ――判っているのに何もしないのは卑怯じゃないの!?

 

 そうだ。彼女は此方を、事件が起こっているのに何もしない自分のことを、卑怯だと怒ったのだ。

 

 ――貴方は、事件を解決できるほどの力がありながら、何もしないで居る!!

 

 ……だが、力が在れば何かをしないといけないのか?

 

 そうじゃない。

 そんな理屈は無く、理由も無い。

 だが、それでも納得できない自分がいる。

 何故、と、自分に幾度も問う。

 

 答えが、ない。

 

 ――否。違う。

 

 心の何処かで否定の意志が在る。そうじゃないだろう、と。

 

 苛々する。なんなのだろうか。

 ワケが判らない。

 何故、と。その言葉が卑怯という言葉と共に頭の中を蹂躙する。

 

「俺、は……」

 

 自分でも驚くほどにかさかさに掠れた声が出た。

 思考が纏まらない。

 

 

 ……一体、何が不満なんだ……?

 

 収入。否。万事安定している。というか下手すれば一生遊んで暮らせる。

 生活。ソレも否。家事全般はそこ等のヤツに劣っているつもりはない。

 学業。在り得ない。成績は適度にやっている。授業は無欠課無欠席無遅刻。最低限やるべき事はやる。

 交友。特に無し。第一他人と話すのはそこまで好きではない。というか苦手だ。

 

 ……他に、何がある――?

 

 万事万全。支障は無い。

 他に在るといえば、仕事。『守護者』。

 だが、ソレは無い。絶対に、だ。

 何故ならばソレは簡単で、支障をきたす事も無く、何かを失うことも無ければ、何かが変わる事も無い。

 

 足を地面へと下ろし、俯いて考えていると、頭上から、

 

「まぁ、言われて直ぐに判るようなもんじゃあねェだろ。だがよ? いつまでもそのまんまでいんなよ? 要ェ。折角目の前にいい機会が在るんだからよ?」

 

「いい機会、だと……?」

 

「直ぐに思いつくだろ? 『事件』だよ『事件』」

 

「な……ッ!」

 

 思わず息が詰まる。

 『事件』。『表』では連続猟奇殺人。『裏』では現在の重要事項。

 現在では既にこの日嗣町に到着していると思われる『人狼』。

 それの――抹消。

 ソレを、この男は『良い機会』と、そう言ったのだ。

 

「お、前……ッ!? まさか……ッ!!」

 

 思い出す。この、目の前の男が何であるのかを。

 『神格者』。

 それは『超越者』。特定の『種』を超えて、『世界』に独立した『ナニカ』として固定され、最期には『神』へと成り果てるバケモノ。

 彼らの『魔術』は練達の『魔術師』のソレを砕き切り、『異能者』の『異能』を彼らの『概念』は簡単に切り裂く。

 何より――彼らはどんなモノより己の欲望に忠実だ。

 そして自分は、三上の『欲望』を、『ユメ』を、知っている。

 

 目の前に居るソレは、酷く愉しそうに、口を裂いた。

 

「――当たり前だろ要ェ? その方が面白ェし、何より俺と美紀の『夢』に近づけるかもしんねェだろ?」

 

「三、上ィ……! お前……ッ!!」

 

 別の怒りが、身体に渦巻いていく。

 先程とは比べ物に成らない密度で魔力を精製する。

 『魔眼』は最大で開放。ギチギチと瞳が軋みを上げ、無生物にすら『死』の――『消滅』の絶望を余波で叩きつけていく。

 

 しかし目の前の三上は、何故かソレを浴びて妙に慌て、

 

「うっお……ッ!? ちょ、ちょい待て要ッ! 冗談だッ、マジで冗談なんだって!!」

 

「冗、談……だと?」

 

 一気に気が抜けた。

 魔力の循環・精製を停止、『魔眼』封印。

 代わりに目の前で笑うバカを睨みつける。

 

「お前……冗談のたちが悪い」

 

「まあそういうな。俺はな? オマエのダチとして、オマエにいつまでもウジウジダラダラして欲しかねェんだよ」

 

「……ああいけない。とうとう気が狂ったかそうかそれじゃあリベルの所に行け適殺な処置をしてくれるだろうから。俺は知らん」

 

「おっ、おまっ! 人が気ィかけてやってんのにそれは無ェだろ!?」

 

「いや、それはお前に限ってソレは無いだろ。『我欲終悦』のくせして」

 

 思い切り肩が落ちる。脱力。

 口から手ではなく心臓が出そうだ。もしくは出したい。

 

「ったくよぉ……。まあ、ソレはいいとして、だ。どうすんだ? 要」

 

「ん?」

 

「この後、お前は『事件』にどうすんのか、ってことだ」

 

「……」

 

 三上は至極真面目な表情で此方に問いを放つ。其処に何時ものような薄い笑いは無い。

 ソレを見て、しかしツィ、と口角を上げると、

 

「――まぁ、俺は、動くだろうさ」

 

「……そうか」

 

 そう言って三上は背を向けて、坂を上り始める。

 

「……おい、何処行く」

 

「そんなの決まってるだろ。オレと美紀の愛の巣に帰るんだよ。……ったく、オマエ本気で打ち込みやがって……マジでフラフラなんだぜ……」

 

「俺にも言わせろ、このバカ。思いっきり殴ってきやがって……骨が二本逝ってる」

 

 ソレを聞いて三上は快活に笑い、

 

「ははっ……このまま殴り合ってダブルKOだったら青春だなぁ、おい?」

 

「アホか……青春なんて生まれる前から無いだろ、俺達には……」

 

 それもそうだな、と三上は笑い、坂の頂点で、微かに此方へと振り返り――

 

「――じゃあ、またな」

 

 微かに笑んだ目元は、確かに此方を見ていて、

 

「……ああ、また」

 

 苦笑して、背を向けた――――――――

 

 

 

 

 

 夜。

 聖美歌は、己が殺された『公園』に来ていた。

 既に少し欠け始めた月は夜の頂点に居座り、その寒々とした光を地上に注いでいる。

 其処には、彼女一人しか居ない。

 

「……あと、もう少しね」

 

 彼女が呟いた意味は――時間。

 その視線は、己の腕時計に注がれている。

 

 ……8時半まで、あと五分、か……。

 

 それは自分が彼ら、三上と鬼灯達二人と『事件』解決を目指して行動を共にする為、指定された場所が此処で、時刻はあと少し。

 辺りを見渡せば、多少錆付いた無人の遊具たちがそこかしこに在る。

 此処は住宅街の外れに在る公園だ。既に夜の現在では出歩く人は皆無に等しい。

 

 そんな無人の中、公園の真ん中で、月夜を見上げる。

 長い髪が顔にかかって少しうざったい。今度纏めて切ろうかとも思う。

 しかし、そんなことよりも。

 

 あの黒い少年の言葉が、頭に残っている。

 屋上で、鬼灯と会話して、結局は良く分からなかった。彼女が言うには、それは誰かに来たところで判るものの類ではない、と言う事。

 

 ――それはつまり、誰かを救うことが傲慢だという考え。

 

 そんなものはわかりっこない、と思う。

 それよりも、判っていて誰も救おうとしないのは悪だ。どうしようもない程の。

 そう確信しているのに、何故か――

 

 ――余計なことをしているから、君は何も掴めないんじゃないのか?

 

 ――それがどれだけ傲慢なことなのか、判っているのか?

 

「――!!」

 

 一気に頭が沸騰する。理由は至極簡単。腹が立つ。

 

 ……っあーもうッ!! 何でこんなにいらつくのよ!?

 

 ブンブンと頭を左右に振り回す。その度に髪が自分の顔を打つ。

 一分間ほどそうした後、聖は脱力してその場に座り込んだ。

 

 現在の彼女の服装は膝下まで覆う長いスカートに、シャツの上にカーディガンを羽織ったという軽装。

 今は夏。夜とは言え、否、夜だからこそ湿気は昼よりも高く、非常に蒸し暑い。

 温い風が、彼女の髪を攫って行く。

 

「……」

 

 取り敢えず、これからの事を考えてみる。

 先ずは『事件』。コレを調査する。

 例えどんなものだろうと人が危ないのなら放ってはおけない。

 そういえば、と思考に邪魔が入る。

 

 ……あの、要とか言うの、来るのかなぁ……。

 

 鬼灯が笑顔で『核さんなら如何にかしますよ』と言うので何も言えなかったが、自分としては心配だ。

 何故ならば彼は強い。理屈だけではなく、何かが。

 別に彼に期待しているわけではない。絶対に。

 

 ……だっ、誰があんな性根の腐った……ッ!!

 

 内心、地団太を踏んでいると――

 

「――なぁ、地面陥没してるんだけど」

 

「ひゃぃひぇっ!?」

 

 後ろから突然声をかけられ身体が勝手に飛び上がる。

 慌てて後ろを見てれば、其処に居たのは、

 

「――こんばんは、聖さん」

 

「朝闇、要……」

 

 

 

 

 

 はっきり言おう。先ず最初に彼女の姿を見て、自分は頭がおかしいのかと思った。もちろん視線の先に居る聖の頭が。

 

「……人狼にあんな習性ってあったか?」

 

 例えば、いきなり錯乱して髪を振り回すとか、いきなり座り込むとか、地面を踏みつけるとか。

 取り敢えずざっと知識をあたるが、そんな報告例は今までに無い。では何だろうか。

 取り敢えず、声をかける。

 

「――なぁ、地面陥没してるんだけど」

 

「ひゃぃひぇっ!?」

 

 実に珍妙な声が聞こえた。心なしか体が宙に浮かんだように見えた。

 

 ……実はアホか……?

 

 真剣に検討すべきだと思う。何故ならば『神血』直系の『人狼』は、ほぼ例外なく人間よりも高い知能を保有している。なのにこの聖というヤツはどうだ。

 

 ――何て、弄りやすい。

 

 彼らは普段孤高で、一族意外とは滅多に関わらない。

 そのぶん閉鎖的な思考で、誇り高く、一族への情も厚い。

 何度か戦い、殺し、言葉を交し合ったことも在るが、やはり一様にして無口。無表情。無愛想。

 だが――目の前の少女はどうだろうか。

 思考速度過剰。混乱回数過多。不明瞭言動。

 とりあえず人狼への見解が一様にぶち壊された。それはそれでかなり研究のしがいが在るが。

 

「――こんばんは、聖さん」

 

「朝闇、要……」

 

 何故アホ面で此方の名前を呼ぶのか。幽鬼か君は。恐ろしい。

 

「何で、貴方が此処に……」

 

「アホな事を聞くな。俺が君と行動を共にするためだ」

 

「はぁッ!?」

 

 眼を見開いて聖が叫ぶ。微妙に身体を震わせ、呆気にとられた表情をしている。

 非常に間の抜けた顔だ、と結論付けながらも、無視して今夜の手順を説明していく。

 

「今夜は取り敢えず西の繁華街へ行くぞ。人狼なら人に紛れ込めるだろうし。何人かは知り合いのヤツの居るからそいつらに話でも――」

 

「ちょ、ちょっと待って! アタシ何にも聞いてないんだけど!?」

 

「当たり前だろ。俺何にも言ってないし」

 

「な……っ!?」

 

 絶句する聖。いや、美人の間抜け面ってそうそう見れるものじゃないと思うんだが、今日は何度も見ている気がする。

 そんなことはまあどうでもいい。自分達は最低限やるべきことはやらなければ。

 

「――あ、そうそう。聖さん。君、俺とパートナー組むことになったから」

 

「はあぁッ!!?」

 

「いや、そんな叫ばなくてもいいだろ。あー判った判ったわけを話すから公共物破損するな俺が支払う羽目になるんだから。とりあえずそのシーソーを離してください」

 

「ふー……ッ! ふー……ッ!!」

 

 何故そこまで息を荒げる必要が在るのだろうか。判らない。

 

「まあ、取り敢えず二人一組で行動することになった訳だが、当然三上と美紀さんが一緒になるわけで」

 

「じゃあ何!? アタシはアマリモノだっていうの!?」

 

 うがーっ、と火でも吐きそうな勢いに冷静に、多少の笑みを混ぜて。

 

「その通りだ!!」

 

「ぅな……っ!!」

 

「ていうのは冗談で――いやほんとごめんなさい。調子乗りました。だから公共物は勘弁してください」

 

「っはー、っはー……ッ!! 最初っから真面目に話してよね……ッ!!」

 

「いや、御免御免。君が可愛いからさ」

 

「――ッ!!」

 

 苦笑して言うと、何故か真っ赤になって頭を振り回していた。やはり習性か。習性なのか。

 ともあれ、ここまでにして。

 

「さ、真面目な話でもするか」

 

「アタシは貴方ことは――――って、へ?」

 

「いつまで本能に従ってるんだ。ほら、『仕事』」

 

「…………ッ」

 

 何故睨みつけるのだろうか。止めて欲しい。魔眼程ではないにしてもチクチクとした痛みは在る。

 取り敢えず無視。口を開く。

 

「『事件』の全容ってか、現状在る情報は聞いたよな? 『犯人』は襲った相手の何もかもを奪う。だから、それを助けるためにツーマンセルで動く、って訳だ」

 

「初めからそう言ってよ……」

 

「気にするな。で、今日から君と共に動くことになった朝闇要。自己紹介はもう要らないだろ?」

 

 彼女は此方を睨みつけ、しかし、

 

「アタシはまだ、貴方の考えを納得したわけじゃない。いいえ、これからもずっと」

 

「別にいい。君は君で自分の法に従ってればいい。だけどそれで『仕事』の邪魔をするなよ。最低限やるべき事はやる。それを念頭においてといてくれ」

 

 そうだ、これでいい。

 此方も余関与しなければあちらも余関与しない。

 これで無駄な反発はなくなるだろう。

 

「これはビジネスライク。そんな関係だ。それ以上でも以下でもない」

 

「……」

 

 聖は押し黙って此方の言葉を聞いている。

 今度は、此方を何処か試すような眼で。

 

「――でも、そんなの、信用できないじゃない」

 

 ポツリ、と漏らされた言葉に、苦笑を禁じえない。

 ならばと、瞬時に浮かんだ意地悪を言ってみる。

 

「だったら君は、自分が俺を信用させることが出来ない、と?」

 

「――!! そんなワケないでしょう!! この誇り高き『神血』に誓ってあげるわよ!!」

 

「……そうかい」

 

 少しだけ、苦笑する。

 返すように此方を口を開き、

 

「ならば、俺も誓おう。連綿と続いた『朝闇』に架けて! 我は身命を賭して聖美歌を護ろう!!」

 

 笑いながら言って、しかし互いに見つめあい、無言になり、

 

「……ぷっ」

 

「ふふ……ッ!!」

 

 爆笑。

 

「あはははははッ!! 何よソレ!? そんなの信じられるの!?」

 

「ク……ふ、ぐぅ……き、みこそ、信じられんの、かよ……ッ!!」

 

 取り敢えず腹が痛い。

 腹筋が激しく動く。

 

 一頻り笑いあった後。

 

「あ、は、あはは……あ、え、と、その……」

 

「ん?」

 

「これから、まあ付き合いが在るわけだし、その……よろしく?」

 

「む……」

 

 右手を突き出してきた。速度的には貫手ほどの。

 恐らくは握手だろう。何故こんな速度でやるのかはわからないが。

 

「むってなによ、むって。何か不満?」

 

 不満顔で此方を睨んでくる聖に、苦笑を返して、

 

「いいや、なんでもない。……こちらこそ、よろしく」

 

「あ……」

 

 握った手は、意外と小さくて、暖かいと思った。

 

「――ええ!」

 

 ――この時から、自分の夜は長くなった。

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