第四章

 

第四章

『事件』

 長く、長く続く灰色の道があった。
 右手に見えるのはひび割れた硝子窓に区切られた空。そこから夏の日差しが入り、日向の空気を熱くしていた。
 周りの白い壁はコンクリート製。所々に皹が入り、しかし少々空調が効いており、日向以外は涼しく、壁そのものはひんやりとした感覚をもたらす。
 白い壁の合間合間に、そこだけが異質なものであるかのように存在するのは木製の黒い扉。扉の上にはプレートがあり、さまざまな名前が書かれている。

 ――その灰色の空間に、一人の男の姿があった。

背は高い。四肢は太く、筋骨隆々とまでは行かないものの、ソレは明らかに日常で使われるものでは無い。
 背は真っ直ぐに伸び、広い肩の上にある髪は、ざんばらに切られた茶色の髪。思い思いの方向に飛び跳ねているそれは、彼自身の性格をも表す。
 表情は笑み。口の端を少し歪めた笑みは、どちらかと言うと微笑みに近い。
 口と同様に笑みの形に歪んだ目は鮮やかな深緑(ディープグリーン)
 男は、その巨体とも相まって、何処か猛獣(ニーズヘッグ)のような恐ろしさを、しかし巨木のような大らかさを感じさせた。

 そして男が身に纏うのは――――制服。
 純白の半袖のカッターシャツに、黒を基調としたチェックのズボン。首もとのボタンを一つ開けた襟元に着けられているネクタイは、神矢学園の生徒である事を示す校章と、同学園の二年生であることを表す蒼の一線。
 ズボンのポケットに両手を突っ込みつつ、間断なく歩き続ける。

――さーて、要はナァーニされてんだろうなァ?」

 男――三上核(みかみかく)は、嫌味の無い笑顔で大量に含みを入れた言葉を発した。
 その瞳には邪気はなく、大人としての知識と子供の無邪気が混同していた。
 それは思春期特有の、大人と子供の狭間としての瞳では無く、何処かが欠損している両眼。
 故に、三上に邪な気は無く、ただ好奇心としての発言。

「ま、あいつヘタレだしなあ。――いや、ムッツリか?いやでもなあ、前部屋に行った時はなんも無かったしなあ」

 本人の居ないところで失敬な発言をしつつ、笑みを深くする。その上鼻歌までも歌い出す。
 三上は現在上機嫌だ。その理由は、

 ……アイツからこっちに関わるとはなあ……。

 先日、ここ一帯の地域の退魔士、魔術師問わず、『裏』の世界に関わっている者たちに協会から連絡があった。

 ――最近行われている連続失踪事件の犯人は人狼である。
 ――死因は精気(オド)、魔力、生命力及び血液を抜き取られたことによる枯渇死。
 ――被害者に関連は無し。
 ――総数は優に三十人を超える。
 ――各々は十分に警戒し、発見次第直ぐに報告もしくは捕縛すること。
 ――殺害は極力避け、記憶を残したままにすること。

 ――追記:対象の人狼は、S以上のものとして認識せよ。

「いやあ、あの聖って娘が人狼だってのは気付いてたけど、まさかマジで会いに行くとはなあ」

 ……てっきり、『だりィ』とか言って帰りそうだったんだけどな。

 恐らく、普段の彼ならばまず間違い無くそうしただろう。しかし今日の彼はそうはしなかった。それは恐らく、

 ……やっと、過去へ向き合うことが出来始めたのか、アイツ。

 もしかしたらソレは逃げかもしれない。怯えかも知れない。恐怖かもしれない。
だが、それは『過去』を意識し始めたと言うことだ。
 以前――二年前から彼は、『過去』を意識せずに意識して、現在と言う状態に掴まり、未来を見てはいなかった。

だが、

「今は、少なくとも自分と、自分の未来を見てんだろ?要」

 いい事だと、そう核は思う。
 今は恐らくあの娘――聖、美歌と言ったか。どうやら『神格』は持っていないようだが、相当な実力を持っていることは『闇』で分かる。
 だが要なら何とかしているだろう。何と言ったってアイツは――

「世界最強の退魔士、か」

 呟き、気付くと目の前には屋上へ続く階段への、入り口があった。
 そこで仁はもう一度声も泣く笑い、

――ま、楽しくなるんだろーなァ?」



 屋上。
 夏の日差しがコンクリートを加熱し、既に熱いと感じるようになったその場には、

――勘違いで殺したって、ソレどーゆう事よ!?」

――だからゴメンって謝っただろ!?」

「だったら貴方も死んで見なさいよ!!痛いんだからね!?」

「君みたいに蘇生できるかぁ――!!!」

 剣戟と爪戟の戟音が響いていた。
 響く間隔は無に等しく、連続して響き渡る音は二人の激情を体現する。

「何よ!!私のことだって蘇生できると知ってなくて殺したんでしょ!?」

「当たり前だろ!?直前に『協会』からの連絡が来てたんだよ!!」

「今さっき聞いたわよ!!でもいきなり殺す事は無いでしょう!?」

「だったら『守護者』の俺に連絡ぐらい入れろよ!?」

 要が悲鳴のような叫びを上げたところで、両者は御互いを強く弾き、距離を取った。
 要はつくづく思う。かったるい、と。

 ……何だって俺がこんな目に……!

 そう思い、全ては自分の所為だと理解して盛大に溜息を吐いた。
 無論、彼女からは目を離さなかったが。

 眼前、彼女――聖は()獣変調(アンノウン)』をしていない。恐らくは()神血(ブルーブラッド)』を開放した上で魔力を身体に通しているのだろうと思う。
 しかし、ソレにしては不可解な部分がある。
 彼女は一度も、

 ……魔術を使ってない。

 彼女が『神血』持ちの人狼である以上、魔術を使っていないと言うのはありえない。
 人狼とは、『魔』の中でもかなりの高位にある種族である。
 人狼の始祖の血、つまりは『神血』を継いでいる場合、例外なく彼らは並みの人間より遥かに高い知能を持つ。
 故に、彼らは一流の魔術師よりも多く魔力を精製でき、また強力な魔術を用いる。
 だが、目の前の聖は莫大な魔力を単純な肉体強化に回してはいるものの、全く術式を練ることもなく、ただ打撃を放つだけだ。

 何故、と要は思考し、しかして直ぐにその考えを打ち払う。

 ……つまりは魔術が使えないっつーことで。ってか、あの異常な治癒能力の方が気になるなー。

 幾ら斬っても突いても吹っ飛ばしても殴っても蹴っても外しても捻じ切っても高速で回復する。
 『希少種』、つまりは今までに数件確認された同じ能力を持つ異常種のことだが、彼女の能力は郡を抜くどころでは無い。
 はっきり言えば、異常なのだ。
 魔術を使えない『神血』であることや、異常なまでの『治癒』。更には、恐らくではあるが、『獣変調』状態での半自我消失状態。
 これらを統計して言えば――不自然。

 何と言うか、自分の生家である『朝闇』や、さき姉の『防人』などの、『魔力耐性(レジスト)』を、血を重ねることによって高めてきた『一族』とは違い、何かの手違いか、もしくは欠陥(バグ)によって生れたような気がする。いや、ただの勘だが。

「何で貴方に一々連絡をいれなきゃいけないのよ!!」

 眼前、七メートルほど距離が離れたところで、聖が吠える。
 思わずソレに反応して、

「『協会』での決まり事だからだろうが!!」

 吠え返す。先ほどからずっとこれの繰り返しだ。言葉ではなく、口調が。
 はっきり言えば既にメンドクサイを超えてだるい。
 彼女が『五領結核(ファイヴコート)』をブチ破ってからの十分間、ずっとこうして戦っている。
 そろそろ彼女の怒りも収まって欲しいのだが、

「私が知るかぁ――!!」

「じゃあ今までどうやって来たんだよ!?」

 ……収まってはくれないらしい。

 言った直後、彼女が飛び掛ってくる。
 ご多分に漏れず高速。速い、が――

「両親にやって貰ってたわよ!!」

「一人で出来るようになれよ!!」

 ――俺にとっては、止まっているのも同然。

 ――『緋宴』35%限定開放。
 ――神経速度を加速。
 ――思考速度を加速。
 ――両腕両脚の筋繊維の概念から強化。

 意志が現実を穿ち抜き、己が身体を『神格者』よりも強く、速くする。

 ――我が意志の前に、自己の限界は無意味。

 精製した魔力が失われていくのと同時に、眼前の光景が緩やかな速度になる。

 高速の筈の聖も。
 こちらの命を刈り取る鋭爪も。
 唯一、殺気が篭った眼光だけが緩やかにならず、此方を射抜く。

 ……いつものことだった。

 肌に感じる『魔』の殺気も。
 此方を射抜く殺戮の眼光も。
 両手に構えた形見も。
 己だけが世界から外れて逝くこの感覚も。
 唯一違うのは、相手に対する殺意が無いことだけで。

 燻っている、と思う。
 二年前、そう二年前からだ。
 あそこで、自分は一区切りが出来てしまった。
 人によればまだ終わっていないとも言うだろう。
 だが、自分にはその思いが無くて。
 自分の心はあの時から、

 ……全く動いてなんか無い……!!

 それに対して怒りもあり、しかし現状から動く気力も無い。
 堂々巡りにして自己完結。
 最悪だ、と思い、口にすれば、

「だりィ……!!」

 己への悪態を吐き、直後、要は動いた。
 身を沈ませ、ほぼ地面と水平になるまでの前傾姿勢。
 緩やかな時のようで、しかし自分だけがいつものように動ける
 そのことに少しだけ口端を歪め、

「……ッ!」

 地面を蹴り出す。
 概念から強化された四肢は、容易に視認速度を超える。
 飛ぶ様にして跳躍。

「な……ッ!?」

 聖が息を詰め、しかし無視。
 彼女の下を潜る様にして右足で着地。軸にして地面を穿ち、コンクリートに皹が走る。
 負荷を強引に流して回転し、彼女の両足の腱を断つ。

「あ……ッ!?」

 疑問も、驚愕も気にかからない。
 高速化した時間の中、慣性の法則を『紅神』によって捻じ伏せ、無時間(ノータイム)で追走する。
 腱を断たれたことによってバランスを崩し、未だ地面に手さえも届いてない聖に肉薄する。

 ――消費魔力150%上昇。
 ――限界肉体負荷一割に到達。

 ……く……!

 強力な『魔術』と『概念』を使い、魔力は精製する端から喰われ、肉体への負荷も、後回しにしているとは言え膨大なものになっている。
 それでいい。
 肉体への負荷は、ここで決着を付けると言う事への後押しにもなる。
 だから、

 ……容赦は無く……!

「ここで沈めてやる………!!」

 高速で彼女の眼前に回り、既に懐に構えた両の短剣を、踏み込みの一歩に『気』を籠めて震脚として、腰の捻りと共に射出する。

「……ッ!!」

 瞬時に現れた此方に驚きつつ、しかし聖は腕を振りかぶって迎撃しようとする。
 しかし、それは自分にとってあまりにも遅い。
 故にそれを無視して、

「お……!!」

 突き込む。
 刺突の速度は高速を超え、既に音速の息へと到達し掛ける。

 ――停滞術式『闇落(あんらく)』励起、『紅神』へ付加。
 ――腐毒術式『貪り逝く破滅の申し子(ウロボロス)』励起、『魄穿』へ付加。

「締ィィァアアッッ!!」

 呼気と共に彼女の両肩、両腕、両手、両脇腹、両足、両脚を穿った。
 直後、二つの術式が効果を表し、

「な――!!?」

 彼女の異常なまでの再生能力が止まった。
 更に、穿ち抜いた点を連結点として、術式を励起。

 ――空間固定術式『否定される観測者』、励起。

 直後、彼女ごと空間を固定した。
 即座に『紅神』の軌道を停止。『魄穿』は励起状態で固定。
 重い息を吐き、肩を落として座りこむ。
 荒い息を吐き、直後、

「く……っ」

 左腕上腕から下腕にまで裂傷が走った。
 鮮血が溢れ、しかし安堵の溜息をつく。

 ……幾らなんでも無理だろ?

 今度は空間ごと固定した。これ以上動けたらただの化物だ。
 故に脱力しながら視線を上に向けて、

「な……ッ!?」

 硬直した。
 眼前、空間ごと固定されたはずの聖が、その空間に軋みを上げてまで脱出しようとしている。

「おいおいおいおい……!!」

 ……馬鹿力にも程があるぞ……!?

 すでに『紅神』による強化は切っている。
 眼前の聖はもう少しで固定をブチ破るだろう。だから、要は腰を上げ、構えを取ろうとして、

――なァーにやってんだァ?おい」

「んなッ!?」

「うおぁッ!?」

 集中が途切れた。
 声がしたのは真後ろ。それも至近距離。
 声は自分が良く知っている人物で、だから要は振り向き、

「みか――!!」

「いったぁッ!?」

 少女の声と同時に鈍い激突音が響いた。
 思わず、振り向きかけた首をゆっくりと、壊れかけの人形のように元に戻す。

「……」

「……」

「いたたたたた……」

 視線を三上に戻し、半眼で睨みつつ、

「お前……!俺を殺すつもりか……!?」

「いやあ悪ィ悪ィ。まさかこんなに手こずってると思わなくてよお」

 からからと軽快に笑う三上をもう一度にらみ、

――ま、これで諦めてくれるよな?聖さん?」

「……」

 苦笑しつつ、話しかけた。

 

 

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