序章

 

 卑下

 夜。
 月明かりさえ無い新月の深夜。草木も眠る丑三つ時。
 閑静な住宅街。壊れかけた街灯は、時々思い出したように明かりを灯す。
 本来ならば、そこは無音の場。しかし、

「グェイヤァアッッ!!!」

「………」

 およそこの世の『モノ』では無い咆哮と、固い何かがぶつかり合う激しい衝撃音が無音を掻き消す。

「グルァア!!!!」

「チッ………」

 一際激しい衝撃音と誰かの舌打ちが響くと同時、十字路に二つの影が突っ込んできた。

 一つは巨体。優に二メートルを超す巨躯。しかし背は猫背になっており、その上には狼の顔があり、目は金ではなく銀に輝く。 
 その両目は爛々と煌き、己が獲物を射殺さんばかりに眼光を放つ。

 明らかに人では無い―――――『魔』だった。
 その中でも、上位に属すると言われる『魔』、『人狼』が、其処には居た。
 史実通りの巨体、豪腕、爪牙。
 唯一異なるのは―――――その銀の双眸。
 通常であるならば黄金に輝くその瞳は、しかし冷たい輝きを灯すの真銀。

「ガゥルルルル………!」

 既に唸り声に怒りを孕み、両腕は不自然に痙攣を繰り返し、血を垂れ流す。
 全身に隈なく負傷を負いながらも、その眼光に怯えや恐怖は欠片も無い。
 あるのはただ、怒りと、強者と戦えることへの戦闘歓喜。

 対するは―――――人間。

「………下位の人狼か。しかも希少種。ああくそ、何で俺にばっかこーゆうメンドイのが来るんだ………」

 呟くのは年若い少年。背丈は平均より高いくらい。髪は少し長く、漆黒の色を持つ。
 顔は端整でありながら、どこか緩慢な、それでいて怜悧な刃を思わせる。
 服装はどこにでもいそうな黒のTシャツに紺のジーンズ。その上に黒のジャケット。そして、

「あー、だりぃ………。首落として終わらせるか………」

 黒皮のグローブに両手を包み、その手にはおよそ戦闘用とは思えない短剣が双つ、握られていた。
 右手には、本来ならば白の刀身が、彫りこまれた黒の呪文によって黒と化している両刃の短剣。
 左手には、半透明の紅い、そして短剣としては長く、太い刀身を持ち、その中に絶えず揺らめきを持つ短剣。
 それらはまるで、混沌と血晶から生れてきたような。
 そして、それらは少年が一般人では無い事を示す証。
 明らかに異質な短剣。この異常事態に動揺しない精神。
 ―――――それは、少年が魔を狩るモノ、『退魔士』である事を表す。

 彼は口を開き、怠惰な感情しか表さない瞳と、覇気の欠片もない声で、

「さて人狼。お前には何の感情もないが、消させてもらう。色々と迷惑かかるしな」

「ガアアアアァァァアッッ!!!!!」

 少年が言い切ると同時、人狼はその化け物の脚力を使って数メートルの距離を無へとする。
 速度は高速。凡そ人の神経では反応できない速度。
 その速度の最中、人狼は両腕を後ろに構え、手を開きその鋭利な爪を露にする。

 しかし、

「『魄穿』、『固定術式』『夜影』展開。『紅神』、『緋宴』最小限定開放」

 反応できない筈の速度で、少年は冷静に、ただ淡々と言の葉を紡ぐ。
 少年が呟き、黒刃の短剣に彫られている呪文の一つが灰色に浮かび上がり、紅の短剣は刀身の奥から輝く。
 籠めるは意志。己が理不尽を世界に刻み、人の域を外れる。

 ―――――我が意志の前に世界の壁は無意味。

 直後、

「ギィアゥッ!!」

 人狼の腕が少年の頭の位置を通り過ぎた。

 

 人狼は確信していた。
 この厄介なニンゲンもこれで終わりだろうと。
 頭を吹き飛ばせば終わるニンゲンは、あまりにも脆い。
 希少種である自分は通常の人狼と違い、退魔の武器か神製の武器でさえなければ頭を吹き飛ばされようが何をされようが死なない。
 いくら自分の動きに付いてきて武器で防ごうとも、人狼の一撃を喰らえば、いかなる防護術式でも並大抵のものは貫通できる。
 それに加えてこの速度だ。
 普通の人間では視認不可能。
 並みの退魔士では反応不可能。
 いくら目の前の退魔士が化物染みていようと、何かが出来る訳でもない。
 だからニンゲンは死んでいる。
 ―――――ハズだった。

 己が腕が少年の頭の位置を通りすぎても、何かを壊した感触はなく、目の前には閑静な公園が映るだけ。

 ―――――ならば何処に?

 そう思考した直後、背後に人の気配を感じ取った。
 何かを思考するより速く、ただ反射に促されるままに、

「ガ………!」

 半身ごと振り替えり、、慣性のままに腕を叩きつけた。

 ―――――だが、

「ギィ………!?」

 そこにも敵はいない。何故?何故!?頭の中にその思考が募る。
 思考は苛立ちと恐怖を積もらせ、人狼はソレを振り払うかのように叫びを上げる。まるで、己に対等な敵はいないのだと、そう知らしめるように。

「ガ―――――!!」

 叫び、しかし胸にある圧迫感と、肌に感じる凄絶な殺気は消えてはいない。
 既に自分の出血は危険なまでの域に達しつつある。薄れてきた意識は警戒心を鈍らせ、危機感を薄くする。
 だからだろうか、自分は背後からの声に、反応できなかったのだ。

 

「―――――『鬼連』」

 

「フィヴっ?」

 静かな声が聞こえた直後。
 自分の首が切り裂かれたのを悟った。
 本来ならばすぐに蘇生される細胞は、しかし焦げ後を付けたまま沈黙している。
 そして、

「―――――」

 息をする事が出来ず、意識を喪われていくのを悟りながら人狼が最後に見たモノは、

「あー、だりィ………」

 短剣を振りぬいた少年だった―――――

 

 

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