第六章

 二つの山の間に、緩やかに、しかし確かな速さで太陽が堕ち始めている。

 太陽は空の中心を離れ始め、その光に紅を徐々に取り込んでいく。

 

 太陽が堕ち行く先――二つの山の麓、扇状地に一つの街があった。

 

 地方都市・日嗣(ひつぎ)町。

 

 比較的新しく作られた其処は、隣接する二つの山の中間、麓にある扇状地に作られた町だ。

 県の政策により、自然と人工が融和する、というキャッチコピーを基に作られたその町は、その言葉どおりに作られた。

 都市全体に緑が散りばめられ、見事に自然が随所に入ったその町は、しかしその相反するものが交じり合った矛盾によって不安定なチカラを抱えることになった。

 

 自然には様々なチカラの『脈』がある。俗に言う、『龍脈』やパワーラインなどだ。

 それは自然の力が流れる道筋であり、また放出し、吸収する出入り口でもあり、『自然』と言うものを支える内骨格のようなものでもある。

 それらは自然が寄り添うことで発生し、成長していく。

 しかし、日嗣町は自然と人口が交じり合った場所だ。

 市街地に無造作に植えつけられた緑、ただ効率だけを求めて伸び続ける水路。

 それらによって、日嗣町の近くにある山のチカラの『脈』――『龍脈』は、『人工』による力と破壊が混じり、矛盾が生じ、それ故に歪になった。

 『魔術師』や『異能者』にはそれほどでもないが、『自然』――『魔』のモノ達には異常が生じた。

 日嗣町から、『新種』や『希少種』が発生するようになったのだ。

 最初に『新種』が確認されたのは十五年前。

 その『新種』は生誕直後、一夜にして十五名の一般人を殺害。近くに住んでいた『退魔師』三名が迎撃するも、三十分とせずに死亡。それから二時間後、『協会』から派遣されたSランク『退魔師』と相打ちになった。

 

 ――その事実は、日本を拠点とする『協会』――災柩協会(パンドラ)に重い打撃を与えた。

 

 『災柩協会』。

 四つの大きな『組織』の一つ。

 唯一中立の立場をしており、『魔術師』や『異能者』などのランク付けを行っており、基本、『退魔』や魔術研究、新たな武装開発などを行っている『魔術組織』。

 彼らが『異能者』や『魔術師』、『特殊技能保持者』等を『退魔師』として認定して、仕事を供給しているとも言える。

 彼らは、独自に――と言っても世界共通になるほどの知名度になってはいるが――ランク付けを行っている。

 大まかに言えば、下から順にGからSSSまでの十三段階に分かれており、SSSともなれば世界に数人程度だ。

 そして彼ら――『協会』には、とある目的がある。それ故に中立となっていると言っても過言ではない。

 

 それは――『神秘』の秘匿。

 

 『神秘』とは、『魔術』、『異能』、『魔』、『神格』、『神』――それらに基づいた、この世界の理の中にあって『異常』なモノの事を指す。

 

 それらを秘匿することは他の三組織も無論当たり前ではあるが、『協会』だけは群を抜いて力を入れている。

 その最たるのが――『守護者』だ。

 

 『協会』から派遣される彼ら、或いは彼女らが行うのは、『神秘』という情報の一切の秘匿。

 都市単位、或いは地区単位での『守護』を行う彼らは、全員がランクAA以上と言う『異常』ばかり。

 それは当然、実力者しか居ないと言う事でもあり、『協会』がどれだけ『神秘』の秘匿に力を入れているかが伺える。

 

 そして、日嗣町のような『神秘』の洩れやすい場所に、『協会』が『守護者』を置かない筈がない。

 

 しかし――日嗣町には二、三年ほど前まで決まった『守護者』が居なかった。

 他地区の『守護者』を呼んで、代行としてさせていた。

 

 普通ならば在り得ない筈である。

 拠点としている筈の日本は勿論、他の三組織の領域以外はほぼ全てカバーしているこの組織が、何故それを行わなかった、否、行えなかったのか。

 

 ――理由は至極簡単。生まれてくる『魔』が強すぎるためだ。

 

 日嗣町で生まれた『魔』のほぼ全てが、ランクAAA以上と認定されており、そのランクとなると国内でも動かせる『退魔師』が殆ど居ないからだ。

 極少数の動かせる『退魔師』でさえ、この土地に行くことを嫌悪した。何故態々死にに行かなければならないのかと。

 当然、『協会』は苦悩した。それで一応の対策として代行を作り、何とかもたせていたのだ。

 ――しかし、とある事件によってそれは崩れることとなる。

 

 ――『新種』の魔による『守護者』の虐殺。

 

 中にはS以上の『退魔師』もおり、次に日嗣町を『守護』する手筈の『守護者』はそれを聞いて逃げ出した。

 

 そして余計に『退魔師』が寄り付かなくなったこの土地に『協会』上層部は頭を抱えた。

 いくら世界的に影響力のある組織が訴えかけたところで、おいそれと即座に街一つを消すことは出来はしない。第一、そんなことをしても乱れた『龍脈』はそうそう簡単に直りはしない。

 この問題に誰もが頭を抱え込み、悩み通した時。

 

 一人の『退魔師』が『守護者』として名を上げてきた。

 

 言うまでもなく『協会』上層部は歓喜した。これでやっと『神秘』の漏洩を防ぐことが出来る、と。

 しかしその直後、資料に書いてある名前を見て『協会』の誰もが硬直した。

 

 其処に書いてあったのは、緋逆聖典(カイン)』、『到達者(ハイエンド)』、『神殺し(クリミナル)』、『時空神(クロノス)』、『閃光(ジャッジメント)』、『殺戮(ブラックアウト)』、『退魔狂(オーバーキラー)』、『死閃(タナトス)――。

 眼に入った人外を即座に殺すことからどの組織でも忌み嫌われた最悪最強のSSS『退魔師』。

 史上稀に見る『魔術師』の最高位、『到達者』の称号を持ち、『神』を殺し、『魔』を狩りつくし、現存するほぼ全ての魔術を習得したとされる偉人にして狂人。

 最強の『退魔師』、朝闇要だった――

 

 

第六章

 無知か――純粋か

 

 廊下。

 徐々に太陽が堕ち始め、しかし朱に染まっていない時間。

 廊下に備え付けられている窓からは、堕ち始めた太陽からの日光が、灰色の廊下へ射し込んでいる。

 気温は緩やかに灼熱から倦怠へと移行し始め、だがそれ故に人の動きが一層に活発になる時間。

 学生たちは授業を終え、各々で動き始める。

 そんな時間――学生たちの中では『放課後』と呼ばれる時間帯に、一人の少年の姿があった。

 

 学生服のまま、ポケットに片手を突っ込んでいるのは要だ。

 足取りは確かに、速く、一定で歩く。その歩みは、まるで何かから逃げるかのように強く、しかし――

 

「あー、だりィ……!」

 

 その口調に、いつもの倦怠感はなく、苛つきと不快がありありと見て取れた。

 表情は眉根を詰めた不機嫌。

 理由としては、

 

 ……何で何も判ってないあの娘に言われなきゃならない……!

 

 つい先ほどの会話が蘇る。頭の中で再生される。

 

 ――判っているのに何もしないのは卑怯じゃないの!?

 

「くそ……!」

 

 悪態をつき、頭を振る。

 思考は鮮明。体調も良好。

 それでいて、しかし自分は苛ついている。

 その事実に余計に腹が立ち、右手で頭を掻く。

 

「なんだって……!」

 

 ……あの言葉が気になるんだ……!?

 

 大したことはない筈だ。

 偽善なんて『復讐』の時から自覚して止めている。

 だからこそ、自分は『裏』にも『表』にも関与していない。二年前からずっと、だ。

 自覚して人を救い、その人の後を見ないのは偽善だ。

 その上、助けてやったと感慨に浸るのは傲慢。

 

 だから、自分は無造作に誰かを助けようとはしない。

 そうやって生きてきたし、これからもそうするつもりだ。

 

 ――貴方は、事件を解決できるほどの力がありながら、何もしないで居る!!

 

「何勝手に断定してる……!」

 

 ……何でも出来るのならあの時家族を救ってた……!!

 

 簡単に行く事なんて無い。

 そうだ。何も出来ないからこそ、自分は護られた。自分だけが護られた。

 

 ――下卑た笑い、数多の悲鳴、武具達の嘆き。

 ――家は紅に包まれ、結界術式は崩壊し、隙間から覘ける廊下にはまだ痙攣していた臓器と肉塊。

 ――堕ちた瞳は、何も映さずに此方を見ていて――

 

「――っくそッ!!」

 

 思わず、壁に拳をぶつけていた。

 魔力が無意識に精製され、壁一面に皹が走る。

 

 拳を見る。

 

「……」

 

 全くの無傷。あの時は人を殴るだけで凄まじく痛かったと言うのに。

 

 ……この力が……在ったなら……ッ!

 

 何故自分はあの時この力が無かったのか、何故何も出来なかったのか。

 

 問いに答えるモノは、居ない。

 

「くそが……ッ!」

 

 悪態すらも、緩い暑さの大気に飲み込まれ、消えた。

 

 

 

 屋上。

 太陽が中心から離れたとは言え、それは在る限り陽光と灼熱を放ち、その姿を見ようとする者に闇を与えようとする。

 その熱と光は、夜が世界を覆うまで続き、当然未だに全てを照らし熱し続けている。

 そして地上よりも高い場所は、地上よりも熱と光を受けやすい。

 そんな場所に、二つの人影があった。

 

 一つは男。

 大柄な体躯を折り曲げ、顔面の中心を押さえながら地面に横たわりつつ、日陰となっている鉄の脱出扉の前でうぅ……とか、あぁ……コレだ……! とかワケのわからない事をのたまっている。

 

 もう一つは少女。

 長く美しい黒髪が汚れるのも構わず、呆けた表情で眼の端に一滴ずつ涙を浮かべながら地面に両手を付いている。

 

 少女――聖美歌の脳内では、恐怖と呆然が他の感情や理性を叩きのめし、謳歌していた。

 脳内に浮かぶのは少年。昨日自分を殺した『守護者』。

 平均より多少高めの身長を持ち、黒髪黒目の『退魔師』。

 紅黒の双短剣を持ち、見たこともない――

 

 ……魔術、なの……?

 

 移動するときに使っていたモノはともかく、体を強化していたモノは見たことも感じたこともないモノだった。

 否、感じたことがないわけではない。どちらかと言えば常に感じているものに似ている。

 そう、いつも自分の身体のナカに感じている、『神血』のチカラに。

 

 ……あり得ない……。

 

 心の中で聖は苦笑する。ありえない事だ、と。

 『神血』は世界が定めた『概念』等のモノだ。それらは世界が認めない限り――『異能者』等でない限り――持つことも用いることも出来ない。

 それはどうにか出来る出来ないの問題ではない。無理なのだ。

 『魔術師』に『異能』は宿らない。逆も言えることで、それらは不変であり絶対だ。

 人間は『魔術』か『異能』しか使えない。無論、自分は人間ではないからこそ、『概念』を持っていて、『魔術』を使える、

 

「う……」

 

 訳ではなかった。

 今思い返してみても過去に出来た例は――

 

「ああああっ」

 

 聖は顔を真っ赤にして手をブンブンと振る。余計なことを思い出してしまった、と思う。

 魔術の訓練は苦手で、母や父にいつも怒られていた。

 怒っていて、いつも呆れられていた気がする。

 だけど、いつも自分のことを気遣って、愛情を注いでくれていた。

 

 ――そう気付いたのは、復讐を決めた後だった。

 

 ……ここで立ち止まってちゃいけない。

 

 自分に活を入れる。

 ここで立ち止まっていても仇が取れるわけではない。

 第一、母は自分に困っている人がいたら助けなさいと言った。だから――

 

 ……アイツは許せない……!

 

 何故救える力を持っていながら救わないのか。そう聞いたら、

 

 ――それがそれだけ傲慢なことなのか判っているのか?

 

「人の命は、救った方がいいに決まってるじゃない……!」

 

 結局のところ、それは逃避で、背負い切れなかった者が言うことだ。自分は違う、背負うことが出来る。

 だから、と自分に聞かせるように、聖は思考する。

 ――事件。

 人狼が起こしたらしい事件。

 猟奇殺人だと、そう聞いた。どうやらこの街にいるらしい。

 放っては置けない。自分が、何とかしなければ。

 幸い、力は在る。母から受け継いだ『神血』の人狼の力と、父から学んだ『魔力』のコントロール。

 滅多な事では負けはしないし、事実、つい先ほどまで負けたことはなかった。

 

 ……そう言えば、母さん以外に負けたのって、アイツが初めて……。

 

 改めて気付くと、それは自分に大きな衝撃を与える。

 悔しい、と言う気持ちも大きいが、それよりも、

 

「どうやったら、あそこまで……」

 

 ――強くなれるのだろうか?

 

 客観視しても、自分はかなり強い方だと胸を張っていえるだろう。

 だからこそ、どうすればあそこまで強くなれるのだろうか。

 力とは無意味に持つべきものではない。が、自分にはあって不都合と言うことはない。

 

 ……まあ、今はどうでもいいわね……。

 

 取り敢えずは事件の情報が欲しい。

 しかし今の自分に『裏』の世界の知り合いは居ない。

 つまりは情報源が無いのだが、この近くで情報を知っていそうな人となれば――

 

「……」

 

「うぅん……お、ぉあっ……お、お、よし、あ、あともうちょい……っ」

 

 ――アレ。

 

 そう思った瞬間に全身に怖気が走った。

 言葉よりも嫌悪感が先に走り、身を震わせて拒否の意を表す。誰も見るものは居ないのだが。

 だけど、と聖は前置きして、人を助けるため、と覚悟を決めて彼に近づいていく。

 

 立ち上がる。

 距離に変わりは無い。

 

「ああ、そっ、ぉうっ、あと、あとすこしぃ……っ」

 

「……」

 

 歩く。

 徐々に近づく。

 

「ぉおう……っ、こっ、こう……ごりごりぃ……ッ」

 

「…………っ」

 

 歩き続ける。

 どんどん近づく。

 

「よ、よしっ、これで直っ――」 

 

 立ち止まる。

 射程範囲内に到達。

 

「くたばれ変態がぁああっ!!!」

 

「た――?ぽぁああぅヴッ!?」

 

 膝裏をキチンと畳んでからのとび蹴り。

 腰の捻りを入れ、インパクトの瞬間に突き放すように背中に力を入れる。

 結果、通常の跳び蹴りとは比較にならないほど威力は膨れ上がり――

 

 直撃の直前にこちらを向いた男の顔の中央――鼻へと狙い過たず炸裂した。

 

 彼女は確かな手応え――足応えを得、男は背後の鉄の扉へと後頭部から激突。

 凄絶な音が轟音として空間を叩き、一瞬、男――三上核の眼が飛び出たような錯覚が聖には見えた。

 一瞬の硬直。そして――

 

「し、下着の色は――」

 

「死ね」

 

 頭に肘撃ちを叩き込んで意識を刈り取る。

 肘撃ちと扉に挟まれた男の頭に全ての衝撃は叩き込まれた。

 鈍いというよりも、金属が揺らいだことによる重低音が響く。

 そのまま溜息をついて男を避け――

 

「まあ待てって」

 

「は!?」

 

 下から声があった。

 男は満面の笑みで、後ろでに腕を組みつつ此方を見上げ、顔には笑みを浮かべている。

 その笑みのまま口を開き、

 

「うちのガッコのスカートってなぁ、裾が短――」

 

「――っやぁあぁあああああああっっ!!」

 

 身体が勝手に動く。腰を落としての連打。

 拳。肘。掌低。膝。脚。足。

 瞬時に魔力が身体を強化し、殺す勢いで叩き込まれた。――が。

 

「なっ――!?」

 

「おいおい……魔力強化だけかよ?『魔術』も『異能』も使わねぇって……舐められてんなァ、俺?」

 

 外れた幾つかの打撃は鋼鉄製の分厚い扉を歪ませ、穿っている。

 三上は苦笑する。

 こちらを見たまま、脚を組み、腕を頭の後ろに回して組んでいる。

 

 つまり、彼は手足を使ってはいない。

 

 その代わりに――

 

「コレ……!?」

 

 光を返さない漆黒の霧が聖と三上を隔てていた。

 あたかも元々其処にあったかのように在るそれは、しかし確かに意思を感じさせるように胎動する。

 

 光を受けて尚それすらも食らうそれはまるで、

 

「闇……」

 

「せーかい。『それ』が俺の能力の一つってコト」

 

 軽い調子で言って三上は立ち上がる。此方の眼前に立った彼を見て、改めて気付く。

 

 ……背、高い……。

 

 先程の朝闇も180はあったが、此方は更に高い。190は軽く越している。

 見下ろされている感覚に微かに不快感を覚え、勝手に眉根が詰まるのを感じる。

 それを見たためか彼は苦笑し、

 

「ワリィ。この図体だから、大抵のヤツは見下ろす形になっちまうんだ」

 

「……別に」

 

 そう呟いてソッポを向いた。

 

 

 

「……別に」

 

 眼下の、不機嫌顔になってソッポを向いた聖に苦笑する。

 

 ……ちょっとからかい過ぎたか。

 

 気分を和ませるために言ったつもりだが、やはり拙かっただろうか。

 どうも自分は人を和ませるのが苦手ならしい。悲しいことだ。

 

 ……ま、美紀はこんなオレでも笑ってくれるし。

 

 こう、つまらないギャグを言ってもふわって感じに微笑んでくれてああそうそうこの前は頭を撫でたら頬を膨らませながらも赤くなってそれがまた可愛くて――

 

「……何で手を握っては開いてるのよ?」

 

「……おお」

 

 いつの間にやら自世界にトリップしていたらしい。さすがは美紀。自分を此処まで狂わせるとは。

 

「美紀が可愛すぎるからだよな……」

 

 うんうんと二度頷いて、ふと前方下を見れば、

 

「――うん? どうしたよそんな変顔して」

 

「貴方に言われたくないわよ……」

 

 肩をがっくりと落としてうなだれる聖。はて、何かしただろうか。

 

 ……ただ妄想してちょっと行動に出ただけだ。

 

 うん。自分は何もしていないと自己完結。

 そのまま聖へと向き直り、

 

「――さ、話そうか」

 

「もう好きにしなさいよ……」

 

 じゃあ、と前置きをして薄い笑いを浮かべつつ、

 

「――自分が弱いの判ったかよ?」

 

「――!!」

 

 ……おお怖っ。

 

 一瞬で殺気がこちらに向けられ、眼は銀色に煌きを変えた。

 溢れた感情は無意識なのか魔力に変換され、彼女の背後に陽炎を起こし髪を靡かせる。

 眼差しは鋭利。憤怒に彩られた双眸は、鮮やかなはずの銀を僅かに鈍らせる。

 

 それを見て三上は思う。若いな、と。

 自分の非力さ、負けを認められなければ、ある程度の域には達してもそれ以上にはなれない。

 己が欠点を潰していかなければ『弱さ』は無くならない。

 

 ……ううむ、オレも昔こんなだったのか……。

 

 客観して初めてわかるものだ、このような醜悪さは、と。

 要は呆れと怒りと本心を言われたことに対する焦りと反抗で帰ったようだが、勿体無い。

 

 ――こんなオモシロイモノをほっとくなんて。

 

「貴方……ッ! 殺されたいの……ッ!?」

 

「ん?」

 

 滑稽。弱者の吼え声ほど笑えるものは無い。

 苦笑して感情を裏に表しつつ、口を弧にして言う。

 

「お前なんかがオレを殺せるのかよ?」

 

「――ッ!!」

 

 激昂したのか、ワケのわからない雄叫びを上げて爪を振り上げる聖。

 『神血』直系の人狼の一撃。

 確かに脅威。並みの『退魔師』ならば一撃で死滅は必然。

 ――だが。

 

「――軽ぃなァ?」

 

「――!?」

 

 胸部中央に着撃した打撃は、しかし何の意味も齎さない。

 軽いのではない。ソレに込められた力は強大だった。

 一撃で大地を抉る程度の力は要している。だが、

 

「おいおいおいおいちょっと待ってくださいよオクサン? マジでこんなもんなのかよ? だとしたら弱いのも程があるぜお前?」

 

 苦笑。

 八割本気で、二割は挑発で。

 さあ、本気を見せてみろよ、と。

 眼前、異常なまでにプレッシャーが膨れ上がっていく。

 その目は語る。――覚悟は出来ているのだろうな?、と。

 

 その殺気とも寒気とも付かないものを全身に感じつつも、三上は嘲笑っていた。

 胸を支配するのは愉悦。ああ、何て楽しいことだろう。

 

 口元に嘲りの笑みを。身体には戦いの意志を。

 自然体のまま、しかし彼は構える。

 まるで、『超越者』のように。

 

 ……さあ、来――

 

「――核さんッ!!」

 

 背後からばぁんッ! と言う音が聞こえた直後、三上は自分の後頭部が割れたことを悟った。

 

 

 

「……え?」

 

 拍子抜け。その表現が今の彼女には一番適当だろう。

 聖は口を呆けたように開き、元から大きな眼を更に大きく開き、構えのまま動きを停止させていた。

 体勢は肩幅に脚を開き、腰元に手を開いて構え、やや前傾になった格好だ。

 つい先程まで自分から溢れるように精製されていた魔力は、しかし今は精製しようにも驚きが邪魔をして精製できない。

 

 ――眼前。後頭部から大量に出血しながら自然体のまま笑っている三上がいる。

 表情は満面の笑み。目元が線のようになるほどに笑っている。

 一言で言えば――気色悪い。

 

 直前に響いたばぁんッ! という音は何だったのだろうか。ここまでの至近距離だと彼の身体が邪魔をして判らない。

 ただ判るのは。

 

 此方に彼の身体が傾いていると言うことだ。

 

「――」

 

「ひゃあっ」

 

 思わず声が出て、右に飛んで避けた。

 嫌にゆっくりと見える彼の身体が倒れていく光景は、何故かシュールに思えた。

 ゴン、と鈍い音が響き、三上の身体が熱いコンクリートに伏せた。

 

「……」

 

 あ、と発声する形で固まった口は動いてはくれない。

 頭は空白で塗りつぶされ、どうすることも出来な――

 

「核さん……? また私を置いていきましたね……?」

 

「……」

 

 視線が声の主を探す。

 声は脱出扉の方から聞こえ、顔はそちらに向く。

 そこには少女がいた。

 年頃は自分と同じくらい。背丈は自分の方が少し高いだろうか。

 真っ白な髪を後頭部でくくっているそのヘアスタイルは俗にポニーテイルと呼ばれる髪型で、多少きつめな彼女の顔には良く似合っている。

 多少釣り眼な切れ長の双眸。その中にあるのは煌きを従わせた漆黒の眼だ。

 スタイルもよく、バランスが取れているというところだろうか。

 傍目にも相当な美少女であることがわかる。

 

 だが。

 

「貴方は何時もそうですね私のことを気にしつつも自分の道を突っ走ってそれがいいとは思ってますけれど限度がありますよね限度がまさか判らないなんて仰りませんよねええ仰らないと信じてますですけれど今回と言う今回はちょっと行き過ぎましたよねそうですよね核さん今回の事を反省して今後の事を考え直してくださいねそうでないともう毎日お弁当やご飯作ってあげませんから良いですねそれから――」

 

「……」

 

 異様なまでに無表情で動かない相手に捲し立てる美少女と言うのは相当怖いと聖は思う。

 表情筋は全く動かずに口元だけが動いていると異様を超えて恐怖を感じる。

 口をポカンと開けたまま聖はその場に立ち尽くしていた。

 一分程度その美少女は捲し立て続け、ようやく怒りも収まったのか一区切りをつけ、

 

「――まあ、これでいいでしょう――あ」

 

「……えと」

 

 彼女がふと顔を上げたところで眼が合い、なんとも居心地が悪くなる。

 お互い数秒眼を合わせたまま、おもむろに彼女が無表情のままに、

 

「――こんにちわ、いい天気ですね」

 

「あ、はい、いい天気ですね」

 

 思わず此方も丁寧な言葉遣い(猫かぶりとも言う)で返し、しかし、

 

「――ってそうじゃないでしょう!? 何この殺人現場!? いい天気じゃなくて殺人日和になってるわよね!? というかその前に足元の血に気が付きなさいよ!?」

 

「……」

 

 言われ、彼女は己の足元を見て、何かを考えるように数秒不動になり、ややあってから顔を上げ、

 

「――これは血ではありませんね」

 

「……面白いこというわね貴女」

 

 彼女はええ、と前置きをした上で、真顔のままに、

 

「コレは血ではありません。――核さんの血管から洩れ出た体液です」

 

「それを血って言うんでしょうっ」

 

 反射的に突っ込む。なんなんだろうこの娘。

 いきなり現れた上に話していた相手を瞬殺。

 

 ……しかも出てきてから全く表情が動いてないし……。

 

 一言で言えば奇妙。具体的には表せない。

 なんともいえない気持ちに表情を多少情けない風に歪ませつつ、しかし彼女は視界に入っていないのか、三上の後頭部に手を当て、

 

「今日はまた我ながら見事にヒットしましたね。これも慣れと言うものでしょうか」

 

 などと呟き、全くの無表情のまま右手を当てている。

 当然、そこからは出血しており、手を当てれば血が付く。

 しかし彼女はそれを気にする事も無く、

 

「どうせ放っておいても核さんなら直ってしまうのでしょうけど……やはり、多少罪悪感めいたものもありますしね」

 

 と、一人ごちつつ、眼を瞑り、

 

「――月は謡う」

 

「!?」

 

 一言で空気が変わる。

 良く身体に馴染み、普段扱いあぐねているソレは、

 

 ……魔力!?

 

「――流転を傍観し願いを流し破滅を見届け。思いを転がし血を目指し眺め続ける祖は朗々」

 

 彼女の身体から吹き出し、突き出している右の掌に集まり、その道程の間にもやもやと変わっていく。

 ただの薄白い霧状ものから確固とした意思を孕む何かへと。

 不定態の力から光に満ちた想いの代宴物へと。

 

 ――自分がどうしても出来ない、不条理の中へと。

 

 ――『魔術』と呼ばれる、『神秘』へと。

 

 瞬間的に浮かぶのは嫉妬。

 本来ならば当たり前に出来て当然のはずの『魔術』。

 しかし自分には絶対に出来ない『神秘』。

 それを使える彼女が――

 

「――共に在りし無を抱え。紡ぎ織りし塵を吹け」

 

 ――酷く、眩しくて、妬ましくて。

 

 ……ッ!

 

 自己嫌悪。

 名前すら知らない人に嫉妬するとは、何と言うことだろうか。

 こういう所で。自分はいまだ未熟に過ぎるのだ。

 もっと、そう、母や父のように強い人になりたい。

 

 そう思った直後、視線の先で彼女が最後の『言葉』を発した。

 

「――術式――織れ往く時篇(ヤドリギ)

 

「……」

 

 直後、彼女の手から鈍い紺色が溢れ、辺り一面にあった血が出血元である三上の後頭部へと集まっていく。

 染みとなっている筈の血は付着していたものから完全に乖離し、まるで時間が戻っていくかのように元に戻っていく。

 

 それが自分には――理解できない。

 

 世界に己が理不尽を刻み『反則』や『裏技』を発動させる『魔術』。

 それを既存、もしくは失伝した言語・文字などに著したものが『術式』。

 それを自分はただ一つとして理解できなかった。

 文字としては読める。単語としても読める。だが、術式としてみる事が出来ない。

 初歩的な『発火』の魔術。ソレを使おうとして、発動させ、自分は、

 

 ……爆発させちゃったのよね……。

 

 心中で膝を折る。気のせいだろうか、眼の端が潤っている気がする。

 母は此方を指差して笑うし、父は呆然としていた気がする。そういえばあの時纏めて研究室のものも壊したような気が。

 

 ……あああごめんなさいごめんなさい父さんごめんなさいっ。

 

 今度改めて墓前に行って謝っておこう。じゃないと確実に祟られる気がする。

 

 頭を抱えて思わず唸っていると、

 

「なぁおい、美紀、あれ……どうよ? 頭抱えてうんうん唸ってる美少女ってなかなか見れねえモンだと思うぜオレ」

 

「私としては赤の他人の小娘にうつつを抜かしている核さんを殴り倒したい気分なのですが」

 

「ん~? 嫉妬? 嫉妬だな美紀? ああオレは幸せだなぁ。こんなオレ想いの嫁さん貰えて」

 

「取り敢えず黙ってください核さん」

 

「おヴぃっ」

 

「……」

 

 何なのだろうか、この目の前で展開される漫才は。しかもツッコミがことごとくエグイ。

 三上が女の子にもう一度鼻を折られて奇声を発した。

 鼻血を激しく噴出させながら、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 

「あ、あの……」

 

「? ああ、すみません、私とした事が。私の名前は鬼灯美紀といいます。以後お見知り置きを」

 

「あ、私は聖美歌といいます。こちらこそご丁寧に」

 

 彼女が頭を下げてきたので思わず頭を下げ、しかし、

 

「いやいや、自己紹介してる場合じゃないでしょうっ!? ほらっ、そこっ、鼻血が何かもう凄い勢いで出てるっ」

 

 三上を指差す。未だにその鼻血は止まる勢いを知らず、天に向かって反逆するかのように飛び出している。

 それを鬼灯は振り返ってみて、こちらに向き直り、無表情のまま、

 

「……? 何を言っているのですか聖さん。アレは血液ではなくて体液だといったじゃ無いですか」

 

「いいからさっさと治療しないと死ぬでしょうが――!」

 

「いえ別に。死にませんよ? 核さんは」

 

「――え?」

 

 疑問の声が口から滑り出て、足元の三上を見る。

 

「……っ!?」

 

 ――異常があった。

 

 人間とは、『現実種』とは、『竜』や『人狼』を代表とする『幻想種』と比べると遥かに弱い種族である。

 身体能力、精神力、魔力保有期間、魔力精製限度、思考速度、思考レベル。

 それらに置いて、人間という『現実種』は『幻想種』に劣っている。

 

 ――だが。

 コレは何だ?

 

 倒れ付している身体は人間。

 流れ落ちる血も人間の紅。

 しかし、

 

「何なのよ、この『闇』は……!?」

 

 彼の血から『闇』が、否、血が『闇』に変わっていく。

 そしてそれは彼の身体に纏わりつき、

 

「――あー……良く寝た……」

 

「おはようございます核さん」

 

 身体を起こし背伸びをする三上に、聖は言いようの無い恐怖感を覚えた。

 

 ――コレは、異常だ。

 

 人間の血が『闇』に変化して元に戻るか? 応えはNOだ。

 そんなものは人間ではない。

 自分の中で思いつくものがあれば、『吸血鬼』。

 夜の貴族とも呼ばれる彼らは、身体を霧のように変えることもできるらしい。

 しかし、それでもおかしいのだ。

 

 何故ならば、目の前の男からは『魔』の臭いがしないからだ。

 

 自分も『魔』であり、その上最上級ともいえる『神血』直系の『人狼』でもある聖は、『人間』と『魔』を臭いでかぎ分けることができる。

 そこに絶対の自信があるし、事実、今まで外した事は無かった。

 だからこそ、目の前の男が何であるか判らない。

 

 だが、

 

 ……今は関係ない。

 

 今の最優先事項は『事件』。

 より多くの人を救うために。

 自分と同じ境遇の人がこれ以上増えないように。

 『事件』の情報を手に入れるために三上に質問をしようと思ったのだ。

 だから、彼が何者であろうと無かろうと関係ない。

 情報が手に入ればそれでいい。

 

 ……例えどんな手を使ってでも、ね。

 

「……ねえ、そろそろアタシがしたいことをしてもいい?」

 

「んー? 本題ってヤツか?」

 

「私は別に副題を持った覚えは無いわよ。貴方達が勝手に漫才するからでしょう」

 

 溜息交じりに吐息をついて、しかし視線を逸らさず、

 

「――『事件』について、何か知っている事があれば教えて欲しいの」

 

「――『事件』、ですか」

 

 言葉を聴いた瞬間、鬼灯が躊躇を顔に表した。

 

「……? 何かいけないことでもあるの?」

 

「いえ、そうではないのですが……」

 

 そう言って彼女は俯き、三上へと視線を移す。

 その視線を受けた彼はん?、と反応し、

 

「――ああ。アイツのことは気にすんな。オレが如何とでもしてやるからよ」

 

「……判りました。有難うございます、核さん」

 

「いんや、気にすんな」

 

 カラカラと軽快に笑う彼に、鬼灯は微かに微笑を返し、こちらへ顔を向けると、

 

「――ではお話しましょう。但し、このことは他言無用、という事を護れるのならば」

 

「勿論。誇り高き『神血』に懸けて」

 

「了解いたしました。では先ず、貴方も知っておられるとおり、今回の『事件』の犯人は『人狼』だと言われています。だからこそ貴方が朝闇様に狙われたのでしょうが」

 

「……その所為で死んでたらアタシ、末代まで祟ってると思うんだけど」

 

「今現在こうして生きてらっしゃるので問題はないかと思われます。IFに大した意味はありませんので」

 

「……」

 

 聖は直感的に悟る。

 

 ……アタシこの鬼灯って娘苦手だわ……。

 

 理屈の話し方というか、言葉遣いというか、何と言うか無表情な彼女は苦手だ。

 ともあれ、確かに今そんなことを考えても意味は無いのだが。

 

「では話を進めます。何故『人狼』が犯人だと仮定されたのかといいますと、事件現場の跡に必ずと言っていいほど人狼の毛が落ちていたのです。色は白に近い銀。当初事件現場に残留していた魔力から推測されたのはランクB程度でしたが、知っての通り『事件』の被害者の方はおよそ人体から取れるエネルギーを全て吸い取られています。例え一般人と言えど既に被害総数は何十件と及んでいます。それら全てを己が魔力に換算すれば……どうなるかはもうお分かりですね?」

 

 無表情のままに彼女は淡々と事実を述べる。

 

「『事件』の人狼、いえ、『犯人』としておきましょうか。ともかく、ソレは着実に魔力を増やしていっています。それも一年とかからずにその力をSランクにさせるほどには」

 

「……」

 

 ソレを聞いて顔から血の気が引いていくことが判る。

 ランクBからS? 異常にも程がある。

 Bと言えば上位に入るとは言えまだまだ中ほどの強さ。しかしSとは最上級にも上る。

 そして、それ以上にランクの上昇。

 その原因が魔力の増加だろうと何だろうと、オカシイのだ。

 魔力と言うのは放出できる量も精製できる量も個人によって雲泥の差がある。それは当たり前で、絶対の事。

 しかし、だ。

 一年と言う期間も経たずに放出・精製量が莫大に増加する事などは考えられないのだ。

 地道に修行を積んで増やす事はできる。しかしこの『事件』の『人狼』は一気にその量を増やしている。

 それがどうにもオカシイと感じる。

 そして同時に、怖ろしいとも。

 

「被害者は一般人、『裏』に関わる人と関わらず、無造作に襲われています。共通点は皆無で、精気などの量も上下差があります」

 

「無差別殺人ってトコだ。んで、ヤツは西から東へ、此方へと移動してる。まあ、その行く先々の『守護者』が何とか始末しようと思ったが、全員返り討ち。余計に強くなった」

 

「『守護者』の方々の中にも言わずと知られたお方も居られました。例えばランクAA+の『異人』飛礫宗次様等です。が、やはり一様にして殺害、精気諸々を根こそぎ抜かれて凝らされました」

 

「東へと移動している目的は?」

 

「全く手がかりナシ。コネ使っても調査団組んでも情報があがるばかりか殺られて役にたたねえ。全くお手上げだ」

 

「それで今までの平均速度から申しますと、恐らく既にこの街についているかと。悪魔でも推測で、存在が確認されたわけではありませんが」

 

「……っ! なら何で貴方達はそんなにもじっとしてられるの!?」

 

 その冷静な態度が聖には信じられない。

 恐らくだがこの鬼灯と言う少女も相応の『力』を持っているのだろう。

 ならば何故、助けるために動こうとしないのか?

 人々が心配ではないのか?

 

「……何をそんなに憤っているのですか?」

 

「貴方達こそなんでそんなに冷静なのよ!? 人々が心配じゃないの!?」

 

「心配なのは心配です。ですが何の情報も無しに動くのは得策ではありません。それに――」

 

「それになんだって言うの!? 今こうしている時にも人が死んでいるのかもしれないのよ!?」

 

「……――」

 

 腹が立つ。何なんだこの鉄面皮は。

 自分達には『力』がある。護るものを護るべき『力』が。

 なのに――!

 

「貴方達は――!」

 

「まあまあ待てって。暑くなんな、今怒ったって時間の無駄だぜ?」

 

「く……!」

 

「……まあ、これじゃあ要の言ってた事もわかるなァ」

 

「な――」

 

 んだと、そう繋げようとした。だが、

 

「!?」

 

「なっ!?」

 

「おお……何やってんだあのバカ」

 

 軽い揺れと共に怒り――と言うよりも苛立ちが含まれている魔力が一瞬、辺りを覆った。

 壮絶、とも言えるソレは何事も無く通り過ぎたが、その密度は半端ではない。

 

「ったく、アイツもまだまだ子供だな……!」

 

「っ!?」

 

 呆れの息とともに三上の顔に表れたのは――笑み。

 獣が相対する事を喜ぶような、戦闘狂の貌。

 それを見て自分は――親近感を覚えていた。

 自分にもその一面はある。『人狼』としての戦闘に愉悦を感じる部分。

 彼はそのまま立ち上がり、鬼灯の耳元で何かを呟くと此方に背を向けて階段への扉を開いた。

 

「……何処へ行くの」

 

「ああ? いや、ちょっとあのバカを如何にかしよう思ってな。後は全部美紀が知ってるから美紀に聞いてくれ。じゃあ後は頼んだぜ、美紀」

 

「はい、核さん。いってらっしゃい」

 

「ちょ、ちょっと――」

 

 慌てて制止の声を上げるが、既に扉は閉まっている。

 後に残ったのは手を突き出して静止している自分と無表情のまま此方を見ている鬼灯。

 

 女の勘とでも言うもので鬼灯の事が微妙に苦手だと思った自分だが、

 

「――さて、これからの話をしましょうか――」

 

「……ええ、そうね――」

 

 今だけは、手を組む事になると直感していた――

 

 

 

 

 

 日と紅の境目。

 太陽は金でもなく、紅でもない色に変わり、しかし絶え間なく一つの方向に変化している。

 夕焼けでも、日中でもない、微妙な時間。

 その狭間の時間とも言うべき時刻に、一人の少年が帰路を辿っていた。

 

 少年――朝闇要は、閑静を超えて物音一つない住宅街を歩いていた。

 いつも通りにポケットに右手を突っ込み、左手に鞄を持ち、肩に引っ提げ、淀み無い歩みで、

 

 ――その表情を、険の一文字に固めながら。

 

 彼は、一人で道を歩いていく。

 

 ……卑怯、か……。

 

 考えるのは少し前のこと。それも一時間も経ってはいない。

 屋上で、聖と戦い、相対し、思わず感情的になり互いに暴論を叩き付けた。

 

 ――ただの、感情の塊を、だ。

 

「……どうかしてるな」

 

 くだらない。だるい。

 そんなことには当に覚悟を固めたはずだ。

 今の自分にやることなんてない。日常は全て受動。

 能動的にやる事なんて一つとしてないし、やろうとも思わない。

 『事件』は被害者が出てから犯人を追えばいい。

 その方が効率もいいし何より手っ取り早い。

 

「そうだ、何の間違いも無い」

 

 ――なのに。

 

 ――卑怯。

 

 ――卑怯。

 

 ――卑怯。

 

 その言葉が頭の中で反芻される。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。

 それが、一度は収まったはずの苛立ちを加速させた。

 

「……くそ……」

 

 何故? 何故己はコレほどまでに感情を動かしている?

 判らない。何故あの程度の言葉が自分を揺るがすのか。

 理解不能であり、許容不可能。

 

「俺は……」

 

 ――これから、如何するのか?

 

 『事件』解決に向けて動くのか? それとも今までのように何もせずに行くか?

 考えは纏まらない。いつもならば直ぐに何もしないと決めるはずなのに、心の何処かでそれを拒んでいる。

 

 ――オマエがイったところでナニかできるのか?

 

「――」

 

 そうだ。自分に何ができる?

 たかが人一人。出来る事等知れている。

 

「やっぱり、俺は――」

 

「――よっ。馬鹿野郎」

 

 負の思考の連鎖に入りかけたところで、不意に後ろから声をかけられた。

 誰だと思って振り返ると、

 

「……お前」

 

「腐ったツラしてんなぁ?」

 

「三上……」

 

 名前を言うと、三上は口端を吊り上げ、眉を立て、

 

「――ああ。ちぃと話をしにきた」

 

 薄く笑いながら、そう言った。

 

 

 

 

ネット小説ランキング>現代FTシリアス部門>「死閃の位置」に投票

 HONなび小説ランキングに投票

雨想亭 本館へ

小説一覧へ

 死閃の位置へ